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労働判例を読む#561

今日の労働判例
【伊藤忠商事・シーアイマテックス事件】(東京高判R5.1.25労判1300.29)

 この事案は、マレーシア出張中に自動車で移動中に高速道路から自動車ごと転落して重傷を負った従業員Xが、Xの勤務先であるシーアイマテックスY2と、出向元である伊藤忠商事Y1に対して損害賠償を請求した事案です。
 1審(東地判R2.2.25労判1242.91、2022読本316頁)は、Xの請求を否定しましたが、2審は、Xの請求を一部肯定しました。ここでは主に、Y1に対する請求を中心に検討しましょう。

1.1審の判断
 1審の判断を先に確認しましょう。1審の判断の概要は以下のとおりです。
① 不法行為責任(Y1の責任否定)
 ・ 準拠法はマレーシア法
 ・ 自賠責法の適用なし
 ・ マレーシア法の主張立証がされていないことから、判断不可能
② 安全配慮義務違反(Y1の責任否定)
 ・ 準拠法は日本法(?) 
 ・ (出張の指示・手配)Xの事故遭遇について予見可能性なし(過失否定)
 ・ (X搭乗車の手配)Y1の業務外(義務違反否定)

2.2審の判断
 2審の判断の概要は以下のとおりです。
① 不法行為責任(Y1の責任肯定)
 ・ 準拠法は日本法
 ・ 自賠責法の適用無し
 ・ 運転手の過失を推認(過失肯定)
 ・ 「事業の執行について」該当(使用者責任肯定)
② 安全配慮義務違反(Y1の責任否定)
 ・ 準拠法は日本法
 ・ (出張の指示・手配)Xの事故遭遇について過失なし(過失否定)
 このように整理すると、②での違いはありませんから、①だけが問題になります。

3.準拠法
 不法行為の準拠法は、一般的には、結果発生地であるマレーシアの法が準拠法になります(通則法17条本文)が、2審は、例外ルール(同20条)を適用し、日本法を準拠法としました。密接関係地が日本である、という理由です。
 けれども、この判断が、国際私法のルールの選択・適用について適切かどうか、今後もこのような判断が一般的なルールとなるかどうかについては、まだまだ不確実です。
 というのも、1つ目の問題として、国際私法上、これと異なる解釈があり得るからです。
 すなわち、日本の国際私法では、事件に適用される法律(準拠法)を選択する際、法律問題ごとに分けて準拠法を選択します。そのため本事案でも、1審がその具体例となりますが、不法行為についてはマレーシア法、労働契約(安全配慮義務)については日本法、がそれぞれ準拠法と選択されました。
 2審で特に問題となるのは、使用者責任の評価です。
 ここで2審は、使用者責任が問題になるとして、Y1の責任全体について、日本法を準拠法と選択しました。
 けれども、使用者責任は、❶運転手とXの関係と、❷XとY1の関係に分けて検討されます。すなわち、まず❶で、運転手の不法行為責任が成立し(民法709条)、❷そのうえで、「事業の執行について」に該当する場合には、Y1の責任が認められることになります(同法715条)。
 そして、国際私法は法律問題ごとに分けて準拠法を選択しますし、実際、❶の関係性(現地で自動車に乗せ、運転し、事故を起こした、という運転手の責任問題)と、❷の関係性(社員として雇用し、マレーシアでの仕事を命じた、というY1の責任問題)は、背景が明らかに異なり、日本の国際私法が重視する「密接関連法」も当然に異なる、という評価が可能でしょう。実際、国際私法の分野で、法律問題の判断の前提になる「先決問題」について、別の準拠法を選択すべきである、等の議論がされているところです。
 このように見ると、使用者責任に関する準拠法の選択方法について、今後、2審と異なる判断がされる可能性が残されており、2審の判断がどこまで一般的となり、どのような場合に適用されるのか、今後の動向が注目されます。
 2つ目の問題は、❷の評価です。
 2審は、Y1の従業員として日本で採用されたことや、業務の指示がY1を中心になされていたこと等を指摘し、日本が密接関係地である、と判断しました。
 しかし、ここで問題となっているのは、交通事故による損害です。給与の不払いやハラスメント等の、労働契約そのものの問題ではなく、交通事故について、Y1がどこまで関りがあるのか、という損害の社会的分配の問題が主問題であり、その分配の判断基準として、どこまでY1が関与していたのか、という問題です。そこでは、当該事故との関係で、Y1がXを使用することでどれだけ利益を得ていたのか、等のように、Y1に損害を負担させることの合理性を判断することになりますから、Xの雇用一般に関する問題まで一般化して、話しを広げてしまうことは適切ではない、という評価もあり得るでしょう。
 このように、「事業の執行について」の評価についても、今後の動向が注目されます。

4.実務上のポイント
 さらに、事実認定についても疑問が残ります。
 それは、現地警察ですら結論が出せなかった問題について、事故状況(ガードレールの無い本道の外側の草地を走行し、ブレーキをかけたが、側溝に落ち、運転手が死亡、Xが記憶を失うとともに重傷を負った、というもの)から、運転手の過失が推認される、としている点です。
 厳格な刑事責任を追及する警察の捜査と違い、民事上の損害の社会的分配の問題なので、基準が違う、だから過失を認めてもよい、ということかもしれません。
 しかし、例えば前を走行する自動車が急停車したり、何か落下物があったりして、急にこれを避ける必要があった、等本道の外側を走行するべき状況もあり得ます。もし「推認」というのであれば、そのような事態も検討し、そのような可能性が小さかった、ということまで検討し、判断すべきでしょう。
 この、「推認」という判断に説得力を感じない点が、問題と思われます。
 このように、2審が今後も一般的な先例として、強い影響があるかどうかわからない点がいくつか指摘されます。
 けれども、国際的な活動が増加していく中で、従業員の健康・安全に関する問題も国際的になっていきます。その際、どのような問題があり、どのように解決されたのか、先例として非常に価値がある判決です。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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