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小林秀雄もすべてを言った⑬ー『感想』から流れる「主調低音」から②ー小林秀雄と理論物理学とベルクソン①ー

ベルクソン哲学から「科学」や「物理学」の問題を抜き去ったら、あとには何も残らないのではないだろうか。

ベルクソンの哲学は、物理学の最先端と交差し、ベルクソンを論じる小林秀雄もまた、決して「科学」や「物理学」の問題を避けて通りはしない。

なぜなら、そこにこそ、ベルクソンと小林秀雄の問題があったからである。

この問題を踏まえて、今回も『感想』から流れる小林秀雄の「主調低音」に心の耳を傾けていきたいと思う。

ところで、小林秀雄は、サルトルやメルロ・ポンティより思想的に深く、デリダやフーコーが言っていることは、すでに小林秀雄が言っていることだ、と言うと失笑を買う時代があったと聞いたことがある。

今もそうなのかどうなのかはわからないが、私は小林秀雄がデリダやフーコーより理論的に遅れているとは思っていない。

「小林秀雄もすべてを言った」とすら私は思っており、小林秀雄から学びたいと思っている。

小林秀雄が、ベルクソンや理論物理学を徹底的に研究したという事実をみるときに、小林秀雄のなかに「理論的なものの徹底性」見るように私は思う。

小林秀雄は、単に科学的思考を批判し、文学的・芸術的思考を肯定したのではなく、科学的思考も文学的思考もともに、その究極の地点においては、同じひとつの実在に触れていると主張したのであり、小林秀雄は理論物理学を学ぶことにより、中途半端な科学主義を批判したのである。

科学と科学主義的は同じではなく、真にラディカルな創造的な科学者は、科学が普遍、妥当な絶対的に確実な土台の上に築かれた学問だとは思っていないだろう。

科学が普遍、妥当な絶対的に確実な土台の上に築かれた学問だと思うのは、科学の「基礎」や「根拠」を問うことはせず、盲目的に科学を他の分野に応用することだけを考えているような科学主義者であろう。

小林秀雄が絶えず批判したのは、科学主義であり、科学そのものではないだろう。

科学は決して科学主義的ではないからである。

科学者は科学主義が無効になるとき、科学者になるのかもしれない。

例えば、湯川秀樹は、『人間の進歩について』のなかで、
「結局直感しかない。
いろいろ理屈は言っているようだが、結局直覚しかない」と言い、そして、
「自然科学などの場合には、別に自分が、何々主義者であるということは、考える必要は実際ない。
ここに物理学の問題があるとすると、その問題をどんな方法でもいいから解決して、新しい理論体系をつくることができればいい」
とも言っている。

本当に創造的な科学者は、科学主義というような便利な思考法には頼らず、結局直覚に頼るのであろう。

科学者の思考も、芸術家の思考とほとんど変わらないようである。

科学も芸術も等価であり、どちらがどちらより本質的であるというわけでもないことを、科学主義者はよくわかっていないようにも私には思われる。

さて、小林秀雄の『感想』が、量子論の問題を中心に展開しているように、小林秀雄の関心は、相対性理論よりも量子論にあるようである。

物理学には、物質の究極の単位を突き止めるというところがあるのであろうが、量子論が明らかにしたのは、そのような究極の要素は存在しないという事実だったのではないだろうか。

ギリシャ以来の原子論では、宇宙や物質は、いくつかの要素から成ると考えられており、それは、19世紀末まで変わらない前提だったようである。

物理学は、そのような前提から究極の要素を求めて、様々な実験や思考を繰り返し、その結果、次々に、ミクロの世界の神秘が解明されてきたのかもしれない。

量子論と呼ばれる20世紀の新しい物理学は、ギリシャ以来の原子論を単純に容認し、進化させてきたのではなく、ギリシャ以来の原子論的な思考そのものに変換を迫ったように見える。

小林秀雄が、量子論にこだわる理由は、量子論が、物質の究極の要素を探求する過程で従来の認識論の基礎原理の革命を行ったからではないだろうか。

このことについて、小林秀雄は、『感想』の第49回目のなかで、

「物質がアトムから成っているとい思想の歴史は、デモクリトスあるいはルクレティウスとともに古いのだが、電子論の勝利が新しいという意味は、勿論、測定技術の進歩による、その実証性にあった。アトミズムはもはや目に見えぬ思想ではなく、確実に捕らえた実在する物質の構造となった。
ところが、ここまで来てみると、この確実な実在から逆に問われることになった。
アトミズムという考え方自体に大きな困難があるのではないか」
と述べている。

小林がここで、述べている「電子論の勝利」とは、原子の構造を明らかにしたラザフォードのことであろう。

さらに、小林は、同じ回の『感想』のなかで

「物質が究極に於いて、たった2種類のアトムに還元出来た以上、残るたった一つの問題、これらのアトムの運動を支配する厳密な法則さえ発見できるなら、アトミズムの勝利は確実なものとなるはずであった。
一歩を踏み出せばよい。
原子が太陽系の模型を示したのが夢ではないなら、天体の運動のみならず、私達周辺のあらゆる物体の運動を、あれほど見事に説明した力学の法則が、この小宇宙にも適用できないはずはない。
だが、自然は顔をそむけたのである」
と述べている。

「自然が顔をそむけた」のは、電子と原子核というふたつのアトムは、物質の究極の単位ではなかったからであり、物質の構造を、原子論的な要素から説明しようとする考え方それ自体にも無理があったからであろう。

このような原子論的な、要素論点な物質の分析を経たのちに、量子論という革命的な物理学は登場した。

そして、量子論は、物質の究極要素を探り当てるのではなくて、物質の究極要素としての素粒子は否定しないが、そこでいわれる素粒子は、「物」というよりは、ある種の状態、言ってしまえば、「場」とでも呼ぶべきものであると考えたのではないだろうか。

「物」的な物理学から、「場」的な物理学への転換が起こったのである。

ニュートン流の古典物理学は、19世紀末にその絶頂期を迎えるのだが、それは同時に崩壊期でもあったようである。

古典物理学の行き詰まりが明らかになったのもまた、19世紀末なのである。

古典物理学は、世界は「物」の集まりであり、「物」の移動や変化から成り立つというように、「物」を中心とする思考から成り立っていたようである。

そして、それを説明するのが「力学」であったようだが、19世紀になると、ファラデーやマックスウェルらによって開拓された「電磁波」の問題のように、「力学」では説明しきれない問題が出現したのである。

目に見えない光であるはずの電波が作り出され、電気火花が散ったりした結果、ファラデーとマックスウェルの「光の波動説」が、ニュートンの「光の粒子説」に取って代わることになった。

光は「粒子」であるという古典物理学的な「物」中心の考え方から、光は「波」であるという「場」への考え方へと転換したのである。

しかし、19世紀の物理学は、「光の波動説」を認めたにもかかわらず、依然として、古典物理学的な「物」中心の力学的な考え方を捨ててはいなかったようである。

「場」的な波動現象を、「物」的な力学によって説明しようとしたのである。

ここに、19世紀末の物理学者たちの直面した「矛盾」があり、「エーテル」という概念が、この矛盾を解決するものとして考え出されたのである。

しかし、「エーテル」という物的な触媒によって、電磁的な波動問題を説明するという考え方は、成功することはなかった。

この矛盾は、「エーテル」という概念を捨てたアインシュタインによって解決されるのである。

アインシュタインは、
「古典物理学的な考え方『それ自体』のなかに矛盾を発見し、その矛盾を克服するために新しい物理学、相対性理論を確立した」のである。

アインシュタイン以前の力学法則は、ガリレイの相対性原理と、マイケルソンとモーレイの光速度不変の原則と、速度の合成に関する法則、という3つの基本原則から成っていたようである。

もちろん、これらの3つの原則はともに両立することはできない。

そこで、アインシュタインは、速度の合成に関する法則を除去することによって解決したようである。

つまり、ニュートン力学の根本原則である速度の合成の原則を近似的にしか妥当しないものとみなしたのである。
たしかにニュートンの物理学は、光の速度と比較してずっと小さな速度で運動する物体には妥当するが、光の速度に近い速度で運動する物体には、妥当しないと考えたのである。
アインシュタインは、ガリレイの相対性原理とマイケルソンとモーレイの実験によって証明された光速度不変の原則というふたつの原則の上に、相対性理論という新しい物理学を打ち立てたのである。

そのとき、アインシュタインは、「時間」と「空間」という問題を提起したのである。

時間と空間という「場」の問題は、古典物理学の世界においては、「あまりにも自明な、絶対的な実在」であり、それらは、「今更特段に考える必要のない、普遍的な実在だった」のかもしれない。

ニュートン物理学の哲学的基礎づけをおこったといわれるカントの『純粋理性批判』においても、先天的なカテゴリーとして、自明の公理として容認されていたのが「時間」と「空間」である。

言ってしまえば、
その「空間」と「時間」をアインシュタインは地上に引き戻したのである。

アインシュタインは、1905年「特殊相対性理論」によって、空間と時間のあいだの関係を明らかにし、1915年には「一般相対性理論」によって、物質と時間・空間の関係を明らかにした。

古典物理学は、アインシュタインの相対性理論の出現によって、その根本的な基礎概念である「時間」と「空間」の概念の改変を迫られたのである。

それは、ある意味では、ニュートン的物理学の根本原則の解体を意味したのかもしれない。

しかし、アインシュタインの相対性理論の出現によって、ニュートン的な古典物理学は、その根底からの変換を余儀なくされたのだが、「物理学の革命」はそれだけで終わったわけではなかった。

もう一段の根本的な科学革命が行われていたのである。
「量子物理学」の誕生である。

「物理学の革命」は、単なる物理学内部の理論的深化や発展ではなくて、トーマス・クーンが、「世界観の変革としての革命」と呼び、また「パラダイムの変換」と呼んだところのものであった。

つまり、「物理学の革命」は、思考の内容の問題ではなく、思考の様式の問題であったのである。

小林秀雄が「物理学の革命」に関心を持ったのも、おそらく、物理学という学問の厳密な体系的知や、その有効性のためではなくて、あたかも永久不変の真理のごとく思われる科学的真理ですら、「革命」とともに相対化されざるを得ないのだという、物理学における思考形式の「革命」の部分であったのだろう。

冒頭でも触れたように、現代物理学の最先端と交差するベルクソン哲学から「科学」や「物理学」の問題を抜き去ることなど、出来ないことを、ベルクソンを論じる小林秀雄は、理解し、決して「科学」や「物理学」の問題を避けて通りはしなかった。

小林秀雄は、ベルクソン論である『感想』の第52回目のなかで、相対性理論について、

「相対性理論は、物質世界の構造に関する、ベルクソンが言う『ニュートン力学の前進が遂に到達した、デカルト的メカニズムの完全な証明』なのである。
アインシュタインはデカルトの『後継者』なのだ。
絶対時間とか絶対運動とかいう亡霊を、物理学から追い払って了ったという意味合いから、たしかに相対性理論に違いないが、その目指したところが絶対的な、物的世界の構造の包括的・客観的記述にあったという点をはっきり摑んでいないと、相対性理論という言葉は、却って惑わしい言葉になる。
なるほど、この理論は、物理界に、全く革新的な考えを導入したが、私達とは無関係な、独立した客観世界の実在を容認するという近代科学が護持して来た考えは、この理論のうちで少しも動揺していない。
動揺していないのみならず、対象の客観性という概念は、アインシュタインによって、誰も考え及ばなかった高度まで、徹底的に推進されたと言える」
と述べている。

これは「相対性理論」の位置づけとして極めて正確かつ重要な記述ではないかと私には思われる。

小林秀雄は、「相対性理論」を、あくまでも近代科学の領域内の出来事として理解しようとしている。

その根拠は、「相対性理論」においても、まだ『客観世界の実在』が容認されているからだというのである。

言い換えてしまえば、「相対性理論」においても、デカルト的な主客二元論的世界が生き延びているからだということになるのだが、このことは、今日の科学史や物理学史の研究とも一致しており、小林秀雄の「相対性理論」の理解は、極めて正当であるとやはり私には思われるのである。

ニュートン的古典力学は、相対性理論という理論体系の中の一部に吸収されてしまったということも、出来るのかもしれない。

ベルクソンが言い、小林が追認しているように、相対性理論はあくまでも、近代科学を極限化した物理学であったのであろう。

「相対性理論」は、ニュートン的古典物理学が自明の前提としていた時空の絶対性という物理学の基礎概念を相対化してしまったという点では、きわめて革命的な理論であったが、それにもまして、より根本的な「物理学の革命」が「量子物理学」によってなされたのである。

小林秀雄は、『感想』のまた第52回のなかで、

「そういう次第で、量子力学は、自然の完全に客観的な記述は、科学者には許されていないという、以前の科学者が夢にも考えなかった考えに到達した。
客観的実在とは、これを観測する観察者と相関関係にあるものであり、私達の観測の方法なり条件なりに無関係な独立した客観的実在とは、科学者にとっては無意味なものとなった」
と述べている。

アインシュタインの相対性理論も革命的であったが、量子論は、さらに革命的であったようである。

量子論に到って、観測行為先立って、観察や観測の対象となるべき客観的実在が消え、むしろ観測行為の結果として、観測の対象が現れるようにも見える。

観測行為が対象を流動化させてしまうため、観測という行為の前後では、観測の対象自体が変化してしまうのであろう。

一般的には、「観測するもの」と「観測されるもの」とが前提されているのだが、量子論においては、この原理は崩れるようである。

廣松渉もまた、この問題について、『事的世界観への前哨』のなかで、

「量子力学がもたらした自然観の変貌は、相対性理論に由るそれよりも遥かに深甚である。
それは、物質観や法則観の次元においてのみならず、認識観の場面においても、『近代的』既成概念を震撼させずにはおかなかった」

と述べたあとで、

「量子力学は、古典物理学の決定論的=因果必然論的な法則観を震盪せしめるという域を超えて、自然観・認識観の一新をわれわれに強請する底のものであることによって、論理学ないしそれを支える世界観の次元に関しても重大な問題を提起している」

と述べている。

廣松渉はこのように言って、現代物理学における科学革命の成果を念頭に入れて、「物的世界像から事的世界観」への世界観の転換を主張しているが、このような問題の立て方は、廣松渉の『事的世界観への前哨』を読んだ当時の人々にとって、あまり目新しいものではなかっただろう。

なぜなら、それは、小林秀雄が、昭和初期に、既に自覚していたものだからではないだろうか。

廣松渉が、マルクスの研究の成果と現代物理学、特に量子力学の成果とを重複させて論じるという構えは、廣松渉が意識していないにせよ、すでに小林秀雄によって切り拓かれていた道である。

小林秀雄もまた、廣松渉が考えるように「量子力学」の登場を、伝統的な、つまり近代的な世界像や物質観に根本的な変革を迫るものとみなしている。

さらに、小林秀雄は、この「量子力学」の問題を、

「批評」=「危機」の問題として対象化していたのである。

小林秀雄のマルクス論もまたこのような見地からなされていたようだが、それは次回以降に詳しく考えてみたいと思う。

ただ、小林のマルクス認識の正当性は、物理学的世界認識を前提にすることにより、はじめて可能になったといっても過言ではないだろう、とも考えている。

さて、社会科学の方法論を考えるとき、自然科学における研究対象は、固定して不動であるから、客観的な科学たり得るが、その対象のなかに人間が入り込んでくる社会科学は、その対象自身が観測や調査という行為に対して反応してしまうので、客観的な科学たり得ない、という意見があるが、量子論においては、自然現象の観測においても、これと同じようなことが起こるのである。

つまり、自然現象自体も、観測という行為によって、攪乱されるため、客観的な観測は不可能になる。

したがって、もし、社会科学が客観的な科学たり得ないとするならば、物理学のような自然科学もまた、客観的な科学たり得ない、ということになってしまうのである。

このことについて、ニールス・ボーアは、

「量子論にあっては、私たちは俳優であるし、観客でもある」

と述べており、また、ハイゼンベルグは

「私たちが観測するものは、私たちの質問の仕方にさらされた自然である」

と述べており、いずれも小林秀雄が『感想』で引用していることばでもある。

相対性理論と量子物理学の差異はここにあるのではないだろうか。

相対性理論は、「実在」の客観的記述が可能であるという前提から出発するのに対して、量子物理学は、「実在」の客観的記述は、原理的に不可能であると考える。

やはり、この「相対性理論」から「量子物理学」へのパラダイムの転換は、「小説家小林秀雄」から「批評家小林秀雄」にいたる「知的クーデター」の物語を意味しているようにも、私には思われるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

※見出し画像は、マグリットの「無限の認識」です。
この作品は、物理学の法則があらゆる可能性を狭めると考えていたマグリットの考えを反映しているとも言われますが、マグリットは『題名について』のなかで、
「より完全な方法で風景を認識するために、2人の散歩者はいつもと違う道を選ぶ」と言っています😌



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