紙きれ1枚記念日
その日は、秋晴れのいい天気だった。
がむしゃらに走ったので額から汗が滲み、溢れる涙と相まって最早どちらの水分か顔中べたべただ。
さて、ここはどこだ。
乱れた息を整えながら辺りを見渡すと、そこは大通りから外れた閑静な住宅街の一角らしい。
ひと気がないことを確認し、ひとしきり声を押し殺して泣く。
なんでこんなことになったんだろう。
頭の中でぐるぐる回る。
そして、はたと思い立つ。
いかん!!
このままじゃ受理されちゃう!!!
私はググって調べると、急いでとある番号に、電話をかけた。
* * *
その15分ほど前。
私と彼は、区役所にいた。
結婚式を来月に控え、入籍届を出すためだ。
せっかくならと、いつもは気にしない吉日を選び、平日に有給をとってふたりで訪れた。
同じく手続きに来たカップルが多く、しかも私たちの前の組に何か不備があったのか、思った以上に時間がかかった。
もうすぐついに入籍…!とお花畑に浮かれた私は、彼にいろいろ話しかけるものの、どうやら逆効果で彼の苛立ちを増長したらしい。
彼は待たされることや、不毛な時間を嫌う。
いつもは穏やかで理性的だけど、気分屋の一面もある。なんとなく不機嫌になると直るまで時間がかかるし、その原因を探ろうとしたり、構わず話しかけていると、事態は悪化することが多い。
彼の相槌はどんどん適当になり、話しかけるなオーラが強くなっていった。
でも。今日は特別な日だよ?
ふたりが『夫婦』になる第一歩。
ふたり笑顔で、気持ちよくスタートしたい。
そんなことを彼に言葉にして伝えたけれど、さらに面倒臭そうにする彼に、私は違和感と悲しみが深まっていった。
そうこうしているうち、私たちの番だ。
彼は私の目を見ることもなく
「ほら、行くよ!」
と、荒っぽく私の腕をつかみ前に出ると、窓口に着々と用紙を出し、気づけば「座ってお待ち下さい」と言われて、待ち合いの椅子にいた。
今なら、一連の手続きをさっと終わらせたいという彼の言い分も分かるし、私も思い描いていた理想にこだわり過ぎた。
でも、当時の私は。
違う…無理!こんなんじゃこれから、
絶対うまくやっていけるはずなんてない!!
私は、区役所を飛び出していた。
* * *
これは私の悪い癖なのだけれど、喧嘩をして腹が立ったり悲しくなると、もういい!と飛び出してしまう事がしばしばあった。
と言っても、3年半のおつきあいで、彼が追いかけてくれないひとなのはよく分かっていた。女の涙とか駆け引きとか嫌いだし、流されない。だからそのまま帰るか、冷静になってからまた戻るか。
そういや、渋谷の交差点で胸ぐら掴まれたこともあったな。なかなかないよね、女子で彼氏に胸ぐら掴まれる経験。
この話を友人にすると何をしてあの彼をそんな怒らせたの…と言われるあたり、日頃の彼の人柄の良さである。
閑話休題。
逃げた先で、私は区役所に電話をかけた。
略して
『ソノケッコンジュリシナイデ!』
電話である。
電話口の戸籍課の女性は、涙ながらの私の訴えを聞くと、
「どうしたの?彼氏に騙されたとかなの!?」
と、親身に心配してくれた。
そうではなくて、不安な気持ちのまま夫婦になりたくないんだ、という内容を話したと思う。
「ちょっと待ってね」と何分か待たされ、課内の方たちと相談してくれた様子。
「書類は止めておくから、彼氏とちゃんと会って話して、納得できたらふたりでおいで!」と言ってくれた。
ちなみに、私が出ていった後もそのまま椅子で手続きを待っていた彼、窓口後方の戸籍課のひとたちが急にザワついた雰囲気になり、自分の方をちらちら伺う様子を見て、
『あいつ何かやったな。』
と思ったそうだ。(当たり)
そして同じく窓口の方に話し合うよう勧められ、私たちは電話で連絡を取り合い、区役所近くのベンチに座って話し合った。
お互い悪かったと思う点を謝り、気持ちを落ち着けて、手続きを今日済ませるか、改めて後日にするかも話した。そして今日にしよう、と、今度はちゃんと手をつないで窓口に向かった。
戸籍課に着くと、もうちょっとした噂のひとになっていて、課の方たちがまるで孫を見るような優しい目で私たちにニッコリ。手続きが終わった際には皆さんにあたたかい拍手まで頂いて、顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかったし、ありがたかった。
* * *
本当に恐ろしいのは、これが10代20代ではなく30にもなってやらかしたという事実。我ながら書いていて震える。
今も情緒不安定なのは否めないけど、『結婚』に対して夢と期待と希望、そして不安もあった分、マリッジブルー的に特に揺れ幅が大きい時期だったと思う。
どうなることやらなスタートにはなったけど、何だかんだありつつも、今年も十数回目の、この日を迎えられた。
もう飛び出しても、帰る場所はひとつだ。
紙切れ1枚のこと。そのひとそれぞれの価値観で決めればいいことだと思う。
でも私は、大好きな彼の横にいていいよという公認マークをもらえたような気がしてとても嬉しく、その気持ちは今でも変わらない。
あの日ご迷惑をおかけした区役所の方々、ありがとうございました。
そして夫よ、こんな私とずっと一緒にいてくれて、ありがとう。この公認マークを手放すつもりはないので、これからもよろしくね。
** yumetamaさんのキュートなイラスト、『これだ!』と使わせていただきました。ありがとうございます♡ **
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