高比良くるま『漫才過剰考察』を読んだ話と私なりのこだわりを持って見るM-1の楽しみ方。
漫才をする人は賢いと前からnoteにするほど思っていたけど、
これほどまでか、と思った1冊。
それが令和ロマン高比良くるまの『漫才過剰考察』という本を読んだ私の感想。
この本を読んだら、漫才に対して何か思うことをつぶやこうなんて思えなくなる。
漫才って、漫才の作り、構造がすごいだけじゃなかった。
そういう一冊だった。
もはや漫才の”マーケティング”の本だ。
本当はM-1が始まる前に読み切りたかったけど間に合わず
M-1を見終わって、昨日やっと読み終わった。
けど、読み終わらなくて正解だったかもしれない。
読み終わっていたら、M-1を見るときに初めから令和ロマンに肩入れしすぎていたかもしれない。
Ⅿ-1の見方にこだわりのある私は正直、去年まで令和ロマンを知らなかった
本当に一年間、楽しみに楽しみにしているM-1。
どうか大いに笑わせてほしい!と心から楽しみにしているM-1。
それには私なりにM-1を楽しむために決めていることがある。
最近、準決勝とかも配信されているけれど、これは絶対に見ない。
敗者復活戦も見ない。
12月のあたまごろに放送日を確認するため、M-1公式サイトを見るくらい。
ただそうすると必然的に決勝に出る人たちがわかってしまうけど、それまではこちらから調べない。
決勝に出る芸人さんが分かっても、その人たちについて調べない。
前評判も見ないようにしている。
審査員でもないのに、変なポリシーだと自分でも思う。笑
でもちゃんと理由はある。
なぜなら、私がまっさらな状態で大いに笑ってM-1を楽しみたいから。
決勝に出る芸人さんには有名な方もいるので、やっぱり知ってる芸人さんもおられるけど、できれば前情報無しのまっさらな状態で見て笑いたい、と思っていて、事前にネタを見て「あ、知ってる」とか「ちがうネタのがおもしろかった」と思いたくない。
決勝当日、その芸人さんが「これだ!」と思って選んで見せてくださるネタを真剣に見たい、という自分でも「なんだこのめんどくさいルール」と思うけど、毎年そうするようにしている。
それこそM-1の初期、中川家、ますだおかだ、アメリカザリガニ、ハリガネロック、ブラックマヨネース、チュートリアル、フットボールアワー、NONSTYLEとか大阪勢が多かったころは、まだまだテレビを楽しむ時代だったので、避けようとも避けれないほどテレビで芸人さんを見てしまうので、「あ、このネタ知ってる」ということも正直あった。
でも最近はいっさいテレビを見なくなって、Youtubeだって興味がなければアルゴリズムに反映されず、私の目に最新の芸人さんのネタ動画は入ってこないようになっているようだ。
そうして見る、”よく知らない芸人さんだらけ”のM-1がめちゃくちゃ楽しい、と感じるようになった。
(最近の「知らないことは無理」という時代の流れにめちゃくちゃ逆行している気がするけど)
なので、令和ロマンも去年優勝するまで知らなかったし、
優勝するなんてみじんも思ってなかった。
おそらくさや香が優勝するのでは?
と1本目が終わったときに思っていたくらい。(見せ算…)
それでも、この本を読んだら
「そりゃ優勝するわ」
と納得の一冊だった。
漫才を”競技”という粗品との対談
粗品との対談が最後に載ってあるのやけど、
そこに至るまでにくるまの漫才に対する考え方をさんざん読まされてきての対談なので、めちゃくちゃおもしろかった。
お笑いの変態2人がお互いに変態っぷりを話す対談。笑
その中で出てきた”競技漫才”と言う言葉。
2人とも、とにかくM-1で優勝するために、一年間かけてネタのブラッシュアップをやり続けていた、と書いてあった。
対談までに読む、くるまの漫才論には、
劇場と寄席のお客様のちがい
地方での営業と、劇場にくるお客様のちがい
お客様の客層(高齢、修学旅行、ファンの数)
M-1の会場のきらびやかさと漫才の関係性
出演順でネタを変えること(漫才コントかシステム漫才かとか)
が詳しく書いてあった。
もっともっと書いてあったけど、
まさかそこまで考えてやっているなんて思いもしなかった。
その考察、分析力、そしてそれを語源化して本にする能力。
なんだ、この人。
と思った。
でも周りが見たら大変だな、と思うようなこともくるまはきっと、そこまでM-1にかけていた、ってことなのかなと思ったらぞっとした。
「この本を読んだらもう、純粋にお笑いで笑えなくなるかもしれないな。」
と思ったこともあった。
でも、この本を読んでも高比良くるまのことを、令和ロマンの事をマイナスなイメージではなく、尊敬するポジティブなイメージで受け取った。
そんなイメージを持って見た今年のM-1。
もう、一般人のただのお笑い好きの私が、お笑いを分析して作っておられる全芸人さんの漫才のネタについてあれこれ言えない、と思ってしまった私の今年のM-1の感想は…
審査員が最高だった
今年から9人になった審査員。
どの人もおもしろい人、すごいなと思っていた芸人さんばかりだったし、審査員の講評がとってもおもしろくってわかりやすかった。
初めて審査員の講評をしっかり全部見た。
なかでも大吉先生とノンスタ石田、中川家礼二とともこ姉さんの話がとっても分かりやすくておもしろかった。
もちろん他の審査員の方も「そんな視点があるのか!」と思いながら、一般人の私もものすごく素直に受け取れたと思う。
特に印象的なのがともこ姉さんの
「一番目が基準?そんな後の事は知らん」
「おもしろいかどうかで点数をつける」
っていうのがそのとおりだと思っていて、
いつもある「一番目はどんなにおもしろくても基準点」という仕組みは一体なんなの?と思ってた事をずばっと言ってくださった。
私、関西人なので子どものころからともこ姉さんのネタを見たりテレビを見たりしていて、やすともがおいしいと言ったらおいしい、買うといったらよい物だろう、大阪駅でやすともが広告宣伝しているお土産はきっとおいしいはず、というもはや知人の姉ちゃん、洗脳に近しい感情があるのですごくポジティブに受け取ってしまってるかもしれないけど、とにかく総じて審査員の審査がとてもよかった、そのことが印象的なM-1だった。
1本目のネタで推しを決める、そして決勝
1番最初の出番になった令和ロマン。
もう誰もが言ってるけど、
出てすぐ言った、くるまの一言
「終わらせましょう」
で、一気に今年のM-1は令和ロマンのものになった。
そのあと3組くらいのネタのつかみがくるまの一言だった。
それだけで場を掌握して、空気を持って行っているのを見て、
今年は令和ロマンが優勝だろう、と推すことに決めた。
ネタに使う言葉の選び方も大好きだった。
本を読んで、考えつくされたネタ選びと話だと思って見ても素直に笑えた。笑わされた。
まだ令和ロマン以外のネタを見てもいないのに、優勝するだろう、これはもしかしたら仕組まれたドラマだと思った。
決勝の3組、
真空ジェシカもおもしろかったし、
バッテリィズもおもしろかった。
今年”推す”と決めた令和ロマンの優勝をはばむのはバッテリィズかもしれない…とドキドキした。
過去のM-1の審査で、
「笑いの量が一番多かったから」
という理由で高得点をつける審査員の方がいたこともあった。
でも、
「1本目と決勝のネタの流れが一緒だった」
と言って低い点数をつける審査員の方がいたこともあった。
どちらに転ぶかわからず、最後の投票はドキドキした。
推しに優勝してほしかったし、
この大会は、本当に令和ロマンが優勝する空気だと思っていたから、バッテリィズとどっちになるかドキドキハラハラした。
審査員の上に表示されていくのがくるくると開いていくたびに一喜一憂した。
優勝が令和ロマンに決定したとき、でっかい声で「やったー」といってバンザイをしたら夫に
「お前が出場したんかい」
と言われた。
それくらい推しの、令和ロマンの優勝を確信していてもうれしかった。
なんか悪役っぽくて、イヤミな感じのする見た目のくるまやけど、
でっかいなぁ、わがままボディだなぁ、芸人っぽいなぁと思う見た目のケムリも、あの本を読んだら好きになる、令和ロマンを。
高比良くるまとケムリを好きにならざるを得ない。
あの見た目も計算されつくされた見た目だとわかったから。
それがわかればもう、悪役っぽくてイヤミっぽいのももう単純に”セクシー”に見える、ケムリの体系だって意図的に作られたものなのだから。
また来年のM-1まで楽しみに生きる
M-1の時期になると、私がとてつもなく楽しみにしているのを知っている周りの方からとても声をかけてもらえる。
終わった翌日も「見たか?」と話しかけてもらえて、語り合う。
それもすごく楽しい。
そして来年も絶対に見る。
準決勝や敗者復活は見ない、当日リアタイで大いに笑う、という謎準備を今年もつづけよう。
高比良くるまが本の中でM-1を数年ごとにお笑いのフェーズ、時代を分けていた。
令和ロマンが2連覇したのでまた、M-1が、お笑いが変化していくのかな。
今からとっても楽しみだ。
ありゃ、
『この本を読んだら、漫才に対して何か思うことをつぶやこうなんて思えなくなる。』
といってすぐからこんなに語ってしまった。
しまったなぁ…