
Rainbow spiders' illmination!
〜大澤誉志幸さんとB'zと一五一会にハマった、ユビコ52年の人生のヲタ話。〜
#ハマった沼を語らせて
(このエッセイは一五一会10年記の中で3回にわたり「そして僕は途方に暮れる」で執筆したものを中心にnote+スカパーのコンテスト「#ハマった沼を語らせて」用に大幅に加筆修正を加えたものでございますことを予めご了承下さいますよう、よろしくお願いいたします。)
そうだ、一五一会10年記で語っていた、オーディションに落ちて、「そして僕は途方に暮れる」はどうなったの?でした。
まずは、一五一会推しとして〜Introduce〜
それは2023年の10月某日のこと。ユビコ51歳の秋。
私は教える側として、初めての一五一会講座に立つ事になり、ワクワクと緊張で眠れずにいた。
思えば、出会いは2014年の春のあの日、ヤイリギターフェスで、40年来の推し、大澤誉志幸さんに会わなければ、一五一会(ヤイリギターがBEGINと共同開発した4弦のギターです)に出会うこともハマることも、こんな機会も無かったわけで。その日は大澤誉志幸サマがヤイリギターのエンドースアーティストと言うこともあり、最初はそのライブだけを楽しみに、岐阜県は可児市文化創造センター(アーラ)の広場に行き、たまたまリハーサル中であった大澤サマ&大澤オタ友さん達と運よくお話し出来て、この美味しい空気に誘われるかのようにスタンプラリーに歩きださなければ、今頃も相変わらず出不精のグータラさんの筈だったのだが。
くじの列に並び、何も考えずに三角くじの一番上を引いたところ、
「リーンリーン♪おめでとうございます〜☆」と鐘の音とカン高い声。
見れば、目の前に黒いケースに入った物が。おいおい、それは何?
「一五一会の奏生(かない)でーす。ワークショップもございますので是非お越しくださいませー」
これであと5分後に大澤サマの出番だったら、この一五一会は使われることもなく、どっかの中古楽器店とかに二足三文で売られていたであろう。しかし、神様のイタズラなのか、大澤サマの出番は15時過ぎ、一五一会のワークショップは11時から。
時計を見れば、10時45分。
行ってきたらー⁈と呑気に言うオタ友の声に乗せられて行ったワークショップで30分で涙そうそうが弾けたために、今の一五一会ライフがあったりする。
そういう意味では、私の人生の中の一五一会推しのターニングポイントに大澤さんがいたのかな。
学生時代、就職、結婚離婚、引きこもりからの再就職など、病める時も健やかなる時も、そこには彼の存在があったわけで。まずは。
今だからこそ大澤誉志幸さんを推す話
〜ホマレ沼には一五一会がありまして〜
初めて彼の曲に出会ったのは、小学校5年生か6年生位の頃だろうか。途方よりも先に実は「その気×××(mistake)」という曲が大好きで、次は何かな?と思ったときに「そして僕は途方に暮れる」が出てきたのであります。
出てきた当初は、何かこの緩やかな感じが、ただ感覚的に好きだっただけですが、年齢を重ねるに従って、この曲に対する気持ちが色々と変わってきた曲でもあります。10代ではただ大人っぽく感じ、20代では銀色夏生さんの歌詞にそんなこともあるよねと共感し、30代の時は少し聞くのが辛くなったこともあったけど、そして40代になってから、それは私の曲としても向き合わなくてはいけない曲になっていき、2023年、一五一会世界大会のためにソロでオーディション参加したときの曲でもあります。
今見ると、あまりに下手くそなので、オーディション落ちるわけだと思うのですが。当時はそれなりに必死だったんです。
うん、46歳で初めて楽譜をもらったときのこと、思いだすなぁ。
発表会の新曲選びが始まって、曲選びは先輩達が主導権を握っていていてユビコはついて行きますモードだったある日、何を思ったか、No.1の先輩が休んだのをチャンスだと思い込み、私は大澤誉志幸さんの「そして僕は途方に暮れる」がやりたいです!などと先生に不遜ながら 抜かした訳です。
しかし別の先輩に「それはソロでやってみようか」と言われ、一旦はソロなんてまだまだと手を振り、普通はそこで先生は楽譜を作るのはやめるのだ。
ところが何を思ったか、どんなにB'zをやりたい‼︎と言っても、首を縦に振らない先生が、翌週のレッスン前に大澤さんのこの曲の楽譜を書いてきてくれたのだ。うん、途方だよ。「そして僕は途方に暮れる」だよ。
先生もできたら良いねと言って下さり、コピーどうすると聞いたけど、先輩たちが「いらないよ、よかったらユビコもらっとく⁈」と言われ、嬉しくて、そのままもらってしまったのが運命が変わる最初だったんだよね。
途方をもらったからだろうか。そう。これが推しのパワーなのか。
今まではできなくても、まぁいいや、練習できる時間がなくてもなんかで済んでいたこと。
この日を境に、ほんの少しだけ、自分の中でやる気が生まれたような気がする。一五一会をもらったから受動的に習うのではなく、好きな曲、そう、推しの曲がやりたい、その躍動的数分間のために、一五一会を習うと言うように方向が変わってきたのだ。ちょうどその頃、私はへバーデン結節(リウマチでは無いが、指の関節が腫れる病気。どうしても指の太さが太くなるので、フレットのサイズが小さい奏生(かない)は物理的に弾くことが難しくなる。)を発症して、流石に奏生を弾くのがつらいのと、その前2年頑張ったから続くかも、と何となく確信を得て、音来(にらい)を手に入れたため、ますます練習に身が入ると言うもの。
普段、人にものを聞くのがあまり得意じゃない私、この出来事以来、わかんない事はわかんないと聞くことが少しずつできるようになってきたのです。40代になってからそれでは遅すぎるような気もするのだが、それでも一生できないよりはマシだとは思う。
これも推しのおかげだ。さて、練習。うーん…。
🎵あーいーうーえーあーいーう......
綺麗な大きい音には程遠く、ストロークのようにピック使うわけにもいかないので、深く指を突っ込んでみるも今度はいらん音が鳴る。うーむ¿
実は途方に…はアレンジでどれだけでも表情が広がる曲なので、実際はアルペジオじゃなくても構わないのですが、大澤誉志幸さんがギター1本で奏でるバージョンがやりたいのであれば、やはりアルペジオは避けては通れないわけで。
基礎からやり直し!
親指で1本1本あいうえと弦を弾くところからです。
ゆっくりゆっくり、きれいになるまで何度でも。同じことを繰り返す。できないからと言ってもあきらめない。
最初は大変で、先生に聞いても理解できないことばかりでイライラの日々。
ところが、ある時、不思議なことに、誰に教わったわけでもないのに、なんとなく、アルペジオの形ができるようになっていたのです。
練習は嘘つかないって本当なのね。
気がついたら、あいういえいういの弾き方が何となく形になり、48の歳に初めて、内輪の発表会でソロ演奏することに。
コロナ禍で内輪の発表会に参加する人も減っている中で、思い切って弾いたところ、尊敬する先輩に「頑張ったねぇ」と言われて、それ以来、一五一会のソロ演奏の楽しさに目覚め始めたのです。
そして、この頃からしばらく、大澤誉志幸さんのライブに行く度、ギターを弾く指先と腕の動き&表情ガン見をした上、サイン会のときに、一五一会の進展を何故か大澤さん本人に話したり。
思えば失礼かつ迷惑な奴だと思われたかなー。
というわけで、戒めも含めて、また訳あって、現在は大澤誉志幸さんのライブ参戦をお休みしていましたが、そうだ、これからは、ひとりでも歩き出す勇気を貰わなくては。大海原はまだまだだから。
今年は会いに行きますぜ。
さて、その後は第4回(2023)一五一会世界大会に向かって主宰のBEGINさん始め、スタッフさんなどに見せるオーディション動画撮影をしなくてはいけないわけで、ソロとグループ、両方出ていいと言う事だったので、当時グループでやっていた、谷山浩子さんの「恋するニワトリ」で一曲、ソロでは大澤さんの「そして僕は途方に暮れる」をエントリーすることに。
その頃、恋する...は当時のメンバーが熱心に練習していて、いつオーディション映像を撮っても良い状態になっていました。私もです。
とは言え、先生の理想が高く、なかなかオーケーが出なかったのも事実で、オーケーが出た頃には、ソロでやる、「そして...暮れる」のほうはレッスン中に撮る時間が無いということで、自分の家で宅録?と言えるか状態で、無理矢理に近い形で初めて録画し、編集知らないからとにかく出来たままで送ったのでオーディション受かるわけもなく。せめて、スタジオでも借りて、音響に気を使えたらよかったのかもしれないと思ったのは後のこと。
ただ、その少し前からかもしれないけれど、何となく煙たがられてるかも?と思いながら、パシリや無視まではないものの、雑にメンバーから扱われることも出てきて、イライラがつのり、決定的だったのが昨年の秋。
後述の推し、B'zの楽譜を初めて先生にもらい、「イルミネーション」を前に久しぶりの誰に嫌われてもいいから精神で頑張ろうとしたところ、新メンバーが入ります。
彼女は童謡を歌わせたらすごい映える声を持ってるなぁと。
ただ、その声は、私には生理的に受け付けない声で聞いた瞬間に私は倒れてしまったのです。
推しの曲が弾けると思った瞬間、急転直下で地獄を見るような、そんな出来事がありました。
雑に扱っていた前からのメンバーもとりあえずは心配?してくれました。
新メンバーが入ったことでバランスが崩れ、新メンバーに長続きして欲しい、私以外のメンバーと対立したのが原因で私が脱退することに。
さらに悪いことに、ミソフォニア(特定音嫌悪症)で聴覚過敏に。
薬と自然の中で過ごす(仕事がそれ系、ゴルフ場勤務で救いでした)ことで、3ヶ月位で良くなってはきましたが、まだ爆音を聞くには自信がなく、このごろ、ようやく久しぶりに3月21日、1年3ヶ月ぶりのホマレさんを見に行こうかなぁと考えてる今日この頃です。
とはいえ、頼りに出来る人がいない中で、また始めから、一歩ずつ、今度はひとりで好きな曲を弾けるように、コード譜だけではない正式な楽譜を読みながら、戦っているところ。弾き方も一五一会だけでなくて、ギターの教則本や理論の本を読んだり、耳コピしたり。推しがいなけりゃ、基本「めんどくさーい」が口癖の私がそんな頑張りませんて。
ま、B'zの楽譜ももらったし、続いてはB'zの沼にハマった話を。
比べられないもう一つの推し、B'z。
いつしかホマレさんファミリーと
2024大晦日の紅白マジすごかったよね。
一発でNHKホールをB'zのLIVE-GYMにしちゃうんだもん。
そのB'z、は中学生の終わりくらいから何となく緩やかに繋がりが始まって、実はB'zにハマったのも始まりは大澤さんの当時在籍していたepicソニーにTM NETWORKがいて、そのマスコットボーイ的存在のサポートメンバーにいたのが云わずもがなの松本孝弘さん、つまり、今もどっぷり沼から出られないB'zのTAK MATSUMOTOサマとの出会いをある意味繋げてくれた存在ということになる。
大澤誉志幸さんの若かりし頃のバンドメンバーが、後にB'zのレコーディングメンバーに名を連ねていたり(ギターの関将さんがいい例で、あの!B'zファンを篩いにかけたと言う「The 7th Blues」にも参加していた上に、大澤さんの渡り鳥ツアーにも参加していた)
はたまた、あるときは大澤さんの曲で作詞には欠かすことのできないK.Inojoさん(ベーシストでもあります。)と大澤さん御用達のキーボードの青木庸和さんが結成した"DOUBT MEN"とB'zの歴代のサポートメンバー(これまたキーボード!増田隆宣さんが中心で先程の関将さんや田中一光さんなどもいる)が結成した"Rock’a Frankenstein"の昨年末の関東某地の対バンライブで時間が許せば是非に参加したかったオタ垂涎のネタ‼︎
こんな時、アミューズメント施設、ゴルフ場フィールド施設管理のスタッフは辛いよ。3回申請出してNGだったんだよー。
しぉしぉ。
ま、そんなわけで、推しと推しの間には、何らかのつながりがありまして、世の中はどこで何がつながっているのかわからないものです。推しを2つ掛け持ちしてるっていうのは、そういうつながりも見えてきて、楽しかったりもします。しかも、各々にハマるとこれはこれで楽しいのです。
もう一つの推し、B'zに緩やかにハマってから3年ぐらい後だろうか。タイトルから知ってトンチキなというか何と言うか。
「太陽のKomachi Angel」のタイトルにズッキュンして、聴いてみたら、ダンサブルで歌って踊るのにハマって、一時期はカラオケに通い倒していたほど。とは言え、当時のB'zは今のようにどんなジャンルの曲でもRockの体で飲み込んでかっこよくすると言うよりはダンスミュージック寄りだったので、実はすぐに飽きるかもと思っていたのも今だから言える内緒の話。
このまま、ダンサブルで少しロックっぽい位の感じで行くのかなあと思っていたら、ある日、B'zさんはファンをふるいにかけるようなアルバムを出します。
それが「The 7th Blues」。
それまでの「In the life」「RUN」から一気にブルースロック方向に傾き、暗黒時代と篩いにかけられてB'zちょっとダメかもと言う人続出でそれだけならまだしも、その辺りから耳障りなアンチが出てきます。鬱陶しかったわ。
でも、彼らのデビューから37年経った今なら、はーそーですねーお疲れ様ですと、気にもしません。
お二人の音楽的ルーツも分かり、アンチが言うパクリやコピー、商業ロックの言葉は私の中ではリスペクト(尊敬)、インスパイア(影響)やオマージュ(親愛なるパロディ)果ては「勝てば官軍」と言う言葉に変換され、いまでは噂を聞くと面白いじゃないか、ほな、元のアーティストでも聴きましょかとなり、AEROSMITH(2002年の日韓共催ライブも行きましたぜ)をはじめ、ゲイリー・ムーア、QUEEN、Jeff Beck(...こないだのCher+HOTEI+TakとJeffのband menberによるTribute Live‼どーよ。(オマエガイバルナ)︎)等々聴いたんだよ、当時は。
...今の私の音楽の聴き方、「とりあえず流れてきて気になったら聴く。後はそれからだ」。に少なからず影響を与えたんだよ。TAK MATSUMOTOと言う御方はぁ‼︎稲葉浩志サマもだよ!!
〜お互いの関係〜
ところでB'z37(ホマレさんなら40ン)年、いちばんハマったのはいつで、飽きそうになったことはありますか?
という質問が来たら、飽きそうになると大澤誉志幸さん(ここからはホマレさんと言わせて下さい、あ、前から言ってるわ。)がいるし、B'zがいるのでハマるも飽きるもありません、と言いたいところですが。
〜ユビコは黙ってB'zに魂〜
実は1998年、衝撃を受ける事態になった事はあります。
「ホマレさん休業宣言」ってやつです。1990年代当時はロックアーティストが40代を超えて活躍するっていうのが少なかったと思うのです。
今でこそ、ホマレさんも稲葉さんも還暦を超えてまだまだ歌ってくれていますし、松本さんはガンガンにギター弾いてくれてるってやつですしおすし。
…ただ、ホマレさんが40代にして、休業宣言(実際は裏方宣言てやつですけど)をした辺りで、一瞬だけB'zも途中で活動休止するって言う事があるかもしれないとなんとなく考えていた事はあります。
当時の私は30代。若く未熟でしたなぁ、本当に。
今となってはそう思うのですが、この年代は皆一度は自分の賞味期限を考えた事があるのではないかと思います。昔だったら結婚のタイムリミットとか、この先仕事、首尾よくうまくいくのか、落ちるのか、そういう時にホマレさんの休業宣言と言うのは自分でも考えるところありましたね。このままホマレさんが裏方に回っちゃって、歌を聞かせてくれなくなったら、それはすごい辛い。
それをかき消すかのように、しばらくB'z にだけ、どっぷり沼っていたことがあります。2005年の頭くらいまで。
あのホマレさんの活動休止以来、すべての他のアーティストは敵。になりました。
B'zの邪魔をするものは許さない。それが例えAKBでも、矢沢永吉でも、"おかいつ"でも。
言うならホマレさんに何があったのか劇場⁈ってやつで、事情が分かって、ホマレさんが前言撤回するまで、なんとしてもB'zを守らなければとそれはそれは必死になりました。これ以上私の推しに手ぇ出すな‼︎ワシの人生壊すなー‼︎ってやつです。
今から言う事は本当はしちゃいけないんですけどね。良い子は本当にこんな事しちゃいけないよ。
まもなく53歳のユビコとのお約束だよ。特にB'z沼にホマレ沼の皆さん。
今だから暴露するが、2000年初頭、B'zの新作が出たら、CDショップの新作コーナーの他のアーティストの作品を全部裏向けにしていたことがあります。今で言う「B'zしか勝たん。」ってアレです。
CDの棚にCD入ってたらB'zの部分だけ残して、それ以外のところはラベル見えないように90度に倒して押し込むっていうのもやったなぁ。
あの頃の私は今思えばB'zにも悪いことやったけど、それがわからんかったんだよなぁ。
今はB'zを守るっていう大義名分のもとに間違った思い込みでやらかした行動だったって分かるけどね。
ただね、アンチを黙らせないとB'zまでいつか裏に行くって言い出しかねないって思ったのかなあ?当時は。
売上が最高の証明よ、とばかりに。アホなくらいシャカリキになってたな。
売上なんてどーでもいいのに。
ホマレさんで痛いくらい分かってるやん。なぁ。
〜ホマレさんおかえりなさい♪&B'zもBIGになっちゃって♪〜
ともあれ2005年の夏にホマレさんが戻ってきたよと言うあるお友達のメールで、私は我に返りました。ここからが私の正しい推し生活の始まり。
その始まりの地は東京港区六本木。STB139って言うライブハウスレストラン。今はなくなってしまったけど。
近くにはHARD ROCK CAFE(TAKのギターも飾ってあるのも見ました)もあって、それは私にとって私は何者?と考える時間から解き放たれる有意義な時間。ホマレさんもはじめこそ、緊張してたけど、さすが、大澤選手と言われてただけあって、ステージ勘を取り戻したら、まぁほんまかっこいいです。おかげで、しばらく東京通いが続きましたね。
そのあと、ホマレさんが渡り鳥ツアーを始めて、サスライツアーと名前を変えて、更に全国くるくる飛び回り、B'zはTAKがグラミー賞受賞。
ますますBIG-MACHINEとなって、こないだの紅白で今に至るわけです。
さて、2025年春から、ホマレさんはサスライツアーに、B'zは稲葉さんがINABA/SALASでまずツアー。その後はB'z主宰でUNITE#2があって、冬のドームツアーへ。
まだ体験していない方は是非‼️
B'zの懐のデカさに驚くもよし、
ホマレさんのアットホームな雰囲気を楽しむのもよし。
とにかく推しは楽しんでナンボ。
まあ、逝ってらっしゃい♡
〜おわりに〜
今回のタイトルはホマレさんが以前hide with spread beaberの「ピンクスパイダー」をカバーしたのと、B'zが紅白で歌った「イルミネーション」から着想を得て
七色の糸が絡まって沼から出られないんだけど、それも推し人生にはありよね、ということで、タイトルをつけて、イラストはchat AIにお願いしたら、こんな素敵なイラストが上がってきました。
本当に、この度は
#ハマった沼を語らせて
企画に参加させて頂き、ありがとうございました。
改めて、推しの凄さを感じた次第です。
私も推し楽器、一五一会頑張ります。
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