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女性のドアをノックする

社会は急速に
ダイバーシティーを推奨しだしている。

ジェンダー差別をなくそう。

より女性が働きやすい環境づくりを。

世界でその実現が遅れている日本企業の一画で、
私も働いている。

とはいえ、
普段働いている中で差別を認識をすることは稀だ。

まるで、
『取手が付いていないドア』は、『ただの壁』であるように。

しかし、『女性のドア』は
何の前触れも無く、荒々しくノックされる。

それは、初めてお会いする旦那の上司からだった。

「男はさ、ビジョンを持って、それを実現するために逆算して働いているんだよ。だから時間がないんだ。
家庭を蔑ろにしてるって思うかもしれないけれど、その事を奥さんにも分かっていて欲しい。」


その上司は、これまで自分が妻の育児をサポートできず仕事に奔走していた事を、
自らそうなる事を予測しつつも仕事を選択した傍らで悔いている人だった。

この言葉は、
私を通して、自分の奥さんに投げかけた言葉なのかもしれない。

ただ、私の中の『女性のドア』は、固体が固体にぶつかる振動のように、間違えなく震わせられたのだ。

私は根っからの “亭主関白の家庭” で育った。
母は専業主婦だった。

母が夜に出歩くと、父は激昂していた。
なので、保護者会の親睦会などの飲み会も行けず、携帯は父に管理され(父の携帯にはばっちりパスワードがかかっている)、女性が家でゲップやオナラは厳禁という家だった。

家が綺麗に掃除されているのも、3食の食事の後にコーヒーが出てくるのも当たり前の家だった。

それでも母は、父が好きで、家庭を明るくするムードメーカーだった。
その一方で「自分は家政婦ではない」とたまに呟き涙する母も知っていた。

彼女は、『女性のドア』の内側の住人だった。

私はこれまで誓って生きてきた。

『女性のドア』をハンマーで砕いて生きていくことを。

誰からも養われない。
自ら教養を身につけ、社会で生きていくんだ。
世の中に影響を与えたい。
ビジョンを持って生きていきたい。
そうやって私が生きることで、
暗いドアの中から誰か1人でも出て来れるように。

女性だって、時間がほしい。
自分だけの、時間がほしい。

『私の最大の願望は、所謂キャリアウーマンにならずにキャリアを築くことです。』
- オードリー・ヘップバーン(1929~1993)


女性も男性も(あの上司も)
私たちが行わないといけないことは、
『男女のドア』の取手を外し、『ただの壁』に戻す事だと思う。

誰かが犠牲にならなければ持続出来ない生活は、サスティナビリティからは程遠い。

歴史はフラクタルに続いていくけれど、
私の使命は
『私自身が女性のドアに縛られずに生命を全うすること』だ。
そして、そういう女性が1人でも増えるように働きかける事。

特別な存在になるのではなく、誰もが目指せる
『未来の常識』に、私はなりたい。

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