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DFSで悲鳴を上げられた話1

香港によく行っていた。
目的は、本を買うため。
イングランドの中世史を専攻していたから、中世に関する資料が必要だった。それも論文に必要と思われるものを片っ端から。
日本で購入可能、または貸し出し可能なものは何とかなる。
できるだけ英文で書かれたコアなものを読みたい。
イングランドまで行って自分が必要な歴史資料を購入するのはハードルが高い。交通費だけで何十冊資料が買えるだろうか。いくら当時円高とは言え、本を買う金を交通費にぶち込みたくはない。
どのくらい円高だったかというと、今では考えられぬ話だが1ドルは94円台であった。

それなら手近なイングランドに行けばいい。
香港である。
当時の香港は返還前で、英連邦の一つであった。総督は確か最後の総督であるパッテン卿だった。ポストは紺色で、ロイヤルポストと銘打たれてエリザベス女王の紋章が入っていた。

案の定、香港の書店には英語で書かれた本があった。
論文の参考資料として使えるもの、新たな発見があるものなど、手に取る本全て購入したいくらいだった。
現実には買い占めることは不可能なので、財布と相談しつつ、両肩にぎっしり重みがかかるほどにハードカバーの分厚い写真集や学術書を購入した。
それ以外にも、デザイン的に気に入ったもの、レトロな写真に詩が添えられたものなど、論文には関係ないが心揺さぶるような本も買えた。

同行した友人たちもそれぞれ自分の研究に役立つ本を購入でき、複数の書店を回って全員ホクホクして店を後にした。
さて、一度免税店にも行ってみようではないか。我々は目的の書籍購入を果たしたからには単なる観光客として当地を楽しんでもいいのだ。
全員ブランドものには興味ないが、帰宅後に配るお菓子などは買っておきたい。
喜び勇んで大規模なDFSへ入店した。
特に私は田舎の者なので、デパートほどの規模の大型店にワクワクである。

ところが、入店しようとドアを潜った時点で凄まじい警報が鳴り響いた。
同時に入店した我々は足止めされ、人の良さそうなおじいちゃん警備員さんに「プリーズ、ウェイト、ウェイト」と言われた。
何と、盗難防止の警報である。
店に入ったばかりで何かを盗んだ訳でもないのにこんなことがあるだろうか。
我々は目を白黒させ、体を震わせた。
20代後半と見える女性店員さんがやってきて、英語で「あなた方が通った時にゲートが作動した。申し訳ないが、1人ずつゲートを潜り直してもらいたい」と言う。
周囲がざわつき、出入り口付近にいた観光客たちの視線が一斉に我々に降り注いだ。何なの?とか泥棒じゃない?とか英語が聞こえてくる。英語圏以外の国の人もいただろうから、それぞれがそれぞれの国の言葉で我々を疑るようなことを口にしているのだろう。

万が一、悪意のある人が入れ違いで店から出る際に、盗んだ物を我々の荷物に入れていたら。

書籍をたくさん買ったため、大きな手提げバッグは膨らみ、口が大きく開いている。本のサイズはバラバラで、みっちり詰まっている訳ではない。ちょっとした大きさの物を間に滑り込ませることも可能だろう。

友人たちは1人ずつ、女性店員さんの指示通りにゲートを通り直した。
当然ながら、ゲートは作動しない。
あの警報は何だったのかという風になり、見守る観光客と警備員さんも安堵の表情である。
女性店員さんは私に目線を送り、通り直すよう促してきた。
友人たちは、残る私を待っている。
何もやましいことはない。
天地神明に誓って、我々はこの店にただ入っただけなのだ。商品すら手に取っていない。

神々よ、ご覧あれ。
友人たち同様、この私も潔白なのだ。
無音でこのゲートを通り抜けて見せよう。

オチはわかると思うが、私が通ったら警報がけたたましく鳴り響いた。
観光客の一団から、おお!という声が聞こえる。
女性店員さんの表情が険しくなり、おじいさん警備員さんは体に力をこめている。
それと言うのも、私の体格が問題で、この警備員さんを私は軽く弾き飛ばせるほどの体重があった。おそらく、警備員さんの3倍はある。
抵抗されたら危ないと思われたのだろう。
人畜無害なデブなのに。

申し訳ないがと言われ、ゲートを複数回潜る。
その都度、警報が鳴る。
友人たちは真っ青になっていた。この資料買い出しについては言い出した私が旅行に関する一切を請け負っており、また複数回この土地に来たことがあるのは私だけなのだ。
ここで私が問題を起こせば、友人たちは全く不案内な状態で放り出されることになる。

おじいさん警備員さんと女性店員さんは険しい顔を見合わせて相談している。
警備員さんは「ユア、バッグ、バゲジ」と片言の英語と身振り手振りでこちらに知らせてきた。女性店員さんは流暢な英語で「荷物に問題があるかもしれない、一度荷物を置き、あなただけが通り抜けてほしい」と言う。貴重品が入ったバッグ、本が入ったバッグの合計は5袋程度。私だけが通ると、警報は鳴らない。
「荷物に問題があるようだ。一つずつバッグを通して確認したい」
店員さんの一声で、警備員さんと店員さんは手に持ったバッグを交互に潜らせる。
警報は鳴らない。
当然だ。
何らかのエラーではないのか?

最後のバッグを通したその時、再び警報が出入り口のロビーに響いた。
固唾を呑む友人たちと見物客たち。
私は逮捕される前提で心配を始めた。

やべー、この辺の刑務所の飯ってうめえのかなー。

警備員さんと店員さんは荷物を改めさせてもらう、このバッグの中身が怪しいと眉尻を釣り上げている。
こちらの商品がいつの間にか私の荷物に入っていました。でもなぜ入ったのか知りません。
そんなフワフワしたアホなことを言っても納得してはくれないだろう。

バッグの中の大量の書籍を1冊ずつ改められる。
当然、私は自分の荷物でありながら触れることを禁じられている。
ハードカバーのやたら重量があるものばかりで、2人は四苦八苦してその重い本を何度もゲートに通す。
その間、私は拘束されたりはしないが、完全に容疑者扱いである。
さて、1冊の本を通した時にまた警報である。
その本は他の本に比べて小ぶりだ。そんなものに商品を隠せるのだろうか。薄いものならページの間に挟めるのかもしれないが。
2人は真剣な顔で本を開いて確認した。
その瞬間、店員さんは絹を引き裂くような悲鳴を上げ、警備員さんは呻き声を上げ震えて本を取り落とした。
見物客たちは何事が起きたのかと訝しがり、取り囲んで遠巻きに私を見ていたのに徐々にその輪を狭めてくる。

ほぼインドネシアのケチャの状態である。
こんなことで人の中心に立つなどという事態にはなりたくなかった。
寧ろ鶏口となるも牛後となるなかれ。
父親はいつも私にそう言い聞かせる人であったし、本人も常識破りどころか常識自体が欠落していた。しかし、地味でぼーっとした私はただの牛後でいい。その他大勢の中でひっそり生きたい。目立ちとうない。

走馬灯でも見えればこの事態を打開する策でも浮かぶのであろう。
しかし、ぼんやりしている私には何ら浮かばないし見えない。

やべー、この辺の刑務所の飯ってうめえのかなー。
これだけである。

#わたしの旅行記

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