村のお祭り
10月中旬、年に一度の村のお祭りがあった。
実りの秋を今年も無事に迎えられたと、氏神さまに感謝の気持ちを伝える日だ。わたしの住む村は、江戸時代初期にできたそうだ。長い年月、ここでの暮らしを、この氏神は守ってきてくださったのだろう。
その前の日に、お社のふき掃除をした。そのとき、一緒に掃除をしているおばさんが、一瞬だけ、祖母に見えた。そうしたら、こうやって、お社を拭いてきただろう、祖母の姿が浮かんだ。その顔は、そうさせてもらっているというような、にこやかな顔だった。祖母が亡くなってから、17年が経つ。けれど、時空を超えて、ここに祖母がいるような、そんな不思議な気持ちになった。
そして、翌日の祭りの日。祭礼の最中、ずっと胸の真ん中がほかほかと温かった。穏やかな喜びの気持ち。それで、また思った。きっと、祖母も同じような気持ちだったろうなぁ、と。いや、祖母だけではなく、その先に続くご先祖さまたちも、そう感じていたような気がする。
きっと、わたしのご先祖さまたちは、困ったときには、氏神さまを頼りにして、またうれしいことがあったときには感謝して、暮らしてきたに違いない。氏神さまを信仰するということ。それは、温かく見守られているような、包まれているような、安心感があったのではないだろうか。
今、氏神さまのお社を建て直す時期が来ている。お社も御拝殿も、長い年月、雨風にさらされて、あちこちガタがきているのだ。そのうちに、床板を踏み抜く人があらわれそう。あちらこちらの釘もゆるんできている。お社の拭き掃除をして、それがよりわかった。けれど、そんなことにお金を使いたくないという人もいる。村内で意見が分かれて、今後のことは未定だ。
わたしは、これからも氏神さまを頼りに、また感謝して暮らしていきたい。お社が、無事に建て直せますように。