「普通」とは何か。
「仕事」の捉え方は、人の数だけ考えがあるものだと思う。
家族のために働く。プライベートを充実させるために働く。お金を稼ぐために働く。自己成長のために働く。
挙げたらきりがないが「仕事」に対する捉え方はその人これまでの生い立ちや環境によって変化してくるものだと自分は思っている。
そんな自分が今考えている「仕事」の捉え方について述べていきたい。
自分は「仕事」を世の中に対する不満、課題解決のツールとして捉えている。
23年間生きてきて1番疑問に思ったこと。
それは知らず、気づかぬ間に「普通」という概念が各個人の固定概念として埋め込まれているということ。
そもそも「普通」ってなんだろうか。
大学生の頃の自分の口癖は「普通に考えて〜」や「普通〜じゃない?」など、よく「普通」という言葉を使っていた。
そして、就職活動時も自分の人生について考えることなく「普通に大手企業に入って、普通に結婚して、普通に生活するんやろーな、」と思っていた。
敷かれたレールの上で自分と他者を比較し、自分を正当化することに必死だった。
自分より勉強できるやつには嫉妬心を抱き、
自分より勉強できないやつには傲慢になる。
そしてレールから外れてる人間に対しては理解しようとすら思わなかった。
敷かれたレールの上での勝負。
これが知らぬ間に築き上げられていた自分の中の「普通」だった。
学生の頃は何も考えずに生活していたが、
社会人になってから「普通」という言葉にかなり敏感になり始めた。
「普通は3年働くよね」「普通は〜しないよね」「普通はサラリーマンだよな」「普通奢るでしょ」「お前普通じゃないよ」
ここで言う普通とは何を対象にした言葉なのか疑問に思った。
本来人間一人一人違う存在であるのだから
普通の概念は異なるものである。
だが、人生について考える場面がなくそのまま社会人になる人間はレールの上を走り続けることを普通だと捉え信じて疑わない。
学校教育では、唯一横一線で測れる「勉強」でその人の評価基準が決まり、それはいつしか
「良い大学に出て、良い企業に入る」ことが目的となる。
メディアはよく「大学ランキング、企業ランキング」などを作るが、それは何を基準としていいのだろうか。
固定化された概念が人の個性を潰すとすら社会人になって感じた。
本来、普通とは自分の人生を生きて始めて見つかるものであり、その普通とは実際に自分が行動してのみ得られるものではないかと自分は思う。
これからは、いい大学に出たとか。
いい企業に勤めているとかではなく、
自分が世の中をどうしたいか。
何を広めたいのか、
何に関心を持っているか。
これらを明確にして、
自分自身の物語を創り上げたい。