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丸めて捨てたはずなのに

今日もまた、下書きの状態で放っておいた記事を一枚、破棄した。

私はnoteを、ぽっと脳裏に浮かんだ感覚や思考を書きとめる、いわば備忘録として重宝している。

これは忘れまい、とそのときは気合を入れてぽちぽちと軽やかに指が動くのだが。

完成品のイメージもできて、さぁ仕上げようという段になると、あれ?と思わず内心首をかしげる。

たとえば、家事など、いえの仕事をほどほどに頑張ろう、という記事を下書きのまましばらく放っておいて、改めて開くとする。

しばらく下書きとにらめっこをしたあとで、

これ書き上げるのむりじゃね??


自分の当時の“思考”と、今自分が身をおいている”現状“があまりに乖離していると、自分の気持ちを、いわば蔑ろにすることが、どうしようもなく苦しくなる。

そこから目をそむけて、筆を運べるのかと、自問自答してしまう。

そうなってしまうと、もう目に留まるのも嫌になって、ぽいっと屑入れに放りこむ。

そう言いつつ、捨てたハズのものが、今書いて(投稿して)いる記事の中で頭を覗かせているのは、何なのだろう?

くしゃくしゃに丸めて捨てたノートを、そっと皺を伸ばしつつ、自分は何を書いたのか、確かめているような。

四方を押さえて、ていねいに、やさしく伸ばすのではなく、ほんの少しだけ広げて、こわごわとのぞき込むように。

ぽこっと浮かび上がったちいさな泡が、水面を揺らすような感覚。

少しこころをざわめかせるようなそれは、でも嫌いではないから、ますます分からない。

一体何なんだろうね、と自身に問を投げてみる。

応えはない。

いつか応えがあるのか、あったとして何時になるのか、それとも解答は出ないのか。

それも、今は分からない。


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