和柴の欠陥
ぼくの人間としての欠陥と、親に思うところを書いておきたい。これから親しくなる人への「和柴シズカの取扱説明書」の一部でもあるし、親に抱いている感情の整理や説明でもある。
既知の欠陥
共感性
テレビは見せてもらえなかったし、ゲームも漫画も買い与えられることはなかった。「飯食わせてもらって家に住ませてもらってんのにこれ以上何の文句があるんじゃ」とのことだった。ポケモンの話題についていけないことは20年以上経った今でも同世代との会話で困る。
小学生男子の会話なんてお笑いかゲームかうんことちんこ、それからクラスの誰かをバカにするぐらいで、芸能人の名前も知らずポケモンのゲームシステムも知らないぼくは自然と誰とも話さなくなり、学校の図書室と市役所の隣の図書館だけが、家にも娯楽のないぼくの居場所だった。
当時から、感情を伴わない「何故生きているのか」という疑問を抱いて生きていた。別に悲しい感情があったわけではなく、この先こんなくだらないものが50年も100年も続くのか…?という絶望に近かった。自然科学と同じくらい哲学書を読んだが、何もわからなかった。小説や歴史を読めば人の愚かさに落胆した。中学生までに人類に呆れ世界に飽きてしまった。
バラエティや映画で生きた人間同士がコミュニケーションを取るのを見てこなかったため、向かい合った相手の気持ちが理解できないまま大人になった。表情や仕草、行間がよめない。実は未だに映画は、数周見ないと登場人物の行動の理由がわからないことがある。
当然、映画のように巻き戻したりできない現実の生活においては、交際相手を上司を部下をことごとくイラつかせる。
両親とのコミュニケーションは報告・連絡か叱られるかしかなく、叱る時に余計な一言が多かった親の話し方を自然と憶えてしまった。その上知識だけは多くあったため、外で口を開けば「一言多い」「嫌味」な子供になり、男子を怒らせ女子を泣かせた。
誰かに無償で何かをしてもらうことが全て、恩を着せられているように感じてしまう。恋人や友人に、一方的にプレゼントを贈られたり、頼んでないことをされるのが未だに嫌で嫌で仕方ない。
褒めることと許すこと
ゲームや遊戯に興じることがなく、成功体験はなかった。模試で偏差値75を出しても褒められることはなく、何かを買って欲しいとどれだけ甘えようとしても聞き入れられることはなかった。
他人や自分を受け入れたり肯定したりする心も、自尊も、人にお願いする可愛げも、ビルドアップされ終わったぼくの人格のどこにも見当たらなかった。
褒められなかったぼくは、何一つ誰一人認められない人間になっていた。認めたくないのではない。
伝えるかどうかは別として、他人の作るモノには必ずアラを見付けてしまう。そしてそれは自分に対しても同じで、完璧を具現化する能力がないことを自覚しているから、自分はモノが作れない。
許されなかったぼくは、何一つ誰一人許せない人間になっていた。それは決して正義感からのものではない。
自分が守っている法律を守っていない人間が許せない。自分が守っている社会的規範を守っていない人間が許せない。
未だに会社でも、自分より給料をもらっていながら自分より能力の低い者がいる時、改善されるまで徹底的に論じてしまう。いわゆる"詰める"というヤツだ。「清濁併せ持つ」、飲み込むことができない。
障がい者福祉の意義も未だに飲み込めていない。自分の心が折れ、仕事をできなってしまえば当然待つのは死だが、最初から仕事ができない人間は助けられて生きていく権利を保障されている、それが許せない。
情緒的な納得がないだけで、法に定められているから、もちろんこの社会システムには従って納税をし、差別をせず生きている。
サイコパスの養殖に成功した親
サイコパスという言葉は、「マジョリティと乖離したメンタリティを持つ人」「精神異常者」ぐらいの雑さで使われているが厳密ではないし、「嘘吐き」をサイコパスと呼ぶ人もいるがこれも当然違う。「犯罪者」でも「反社会的思考者」のことでもない。原義的には「共感性の欠如した」人のことだ。
サイコパスの中にはおそらく、自分の中での論理的演繹を絶対の正しさと信じ、破滅的反社会的行動に突き進む人もいる。「地球環境を破壊しているのは人間だ。よし、人間を滅ぼそう!」とか。
しかしそれは共感性の欠如から、結果として、大量殺人者になったり戦争犯罪者になる人がいるというだけのこと。
ほとんどのサイコパスは、周りの人間が理解できることを理解できないが故に、それを理解できるマジョリティが作ったこの社会で、苦しみながら、怯えながら生きている。ぼくもその一人というわけだ。
推定される原因
両親という夫婦
両親は同じ高校の、男子バスケ部の後輩&女子バスケ部の先輩というカップルだ。
ギャンブル狂いの末に胃がんで孫も見ずに早逝した祖父のお陰で母方の家庭は貧しく、伯父は学費が払えず国立高専を中退していた。そんな母が高校で出会った一つ下のカレ、つまり父は田舎の厳格な公務員一家。数年の交際を経て結婚、ぼくが生まれた頃までバブル景気。トレンディドラマのような20代前半を過ごした勝ち組カップルと言える。
母は時々言う。
高校生の頃まではたくさん辛いことがあって、死んでしまいたいと思ったことが何度もある。今その願いが突然叶ったらどうしよう、人生で後ろめたいことはそれぐらいだ、と。
父という先輩
父も高卒で就職。口下手だが負けん気は強く、ひたすらにストイックな父は、高卒で到達できる最高位の管理職になっていた。
二十余年後、ぼくも紆余曲折を経て同じ組織に就職したが、そこで聞く父の評判は、万人に好かれる管理職で、ヒラから見ると優しく頼りになるいわゆる"アタリの上司"だった。億単位の決裁権を持ち1000以上の部下を見てきた顔の広さでも、鬼軍曹のような父の姿を見た人は誰一人いなかった。
JTCらしく、年功序列と縦割り組織、現状維持による既得権益に座し、自分の領分の安寧だけを守る人間が多くいる中、自分だけは襟を正し、条理を押し通すような糾弾はせず、数多の内部折衝を粘り強くこなし、真面目に働く一般職員が報われる組織を作ること、そしてそれこそが公共の福祉に資すると信じ抜くこと。
原理原則しか言わぬ堅物でもなく、かといって諦めも妥協もなく、職務への誠実さを貫く弊社の理想の職員そのもの。もはや狂気の片鱗すら感じる生真面目さ。
ただ関わりたくなかった父という人間を、社会に出て同じ組織に属して初めて、理想の先輩職員として尊敬した。
祈り/呪い
両親は自分たちのように、あるいはそれ以上に幸せになって欲しいと強く願ったのだと思う。
テレビを観る時間、ゲームをする時間があったら勉強して、大学に行ってほしい。自分がなりたいものを見つけた時に困らずに、より良い人生を送れるように。
ゲームも漫画も、自分で買えるようになったら好きなだけ遊ぶといい。子供のうちに与えて、のめり込んでしまっては将来のための勉強がおろそかになる。1000円だって稼ぐのに働くのは大変なことだと、社会に出て壁にぶつかる前に一つでも厳しさを知っていてほしい。
両親の善良な祈りは全て、願った通りにはならないように発露し、醜く惨憺たる人の形をした怪物を産む呪いとなった。キュゥべえが聞き届けでもしたのだろうか。どうしてこうなった
ところで、我が両親は「毒親」だったのだろうか?
親は誰しも育児のプロではない
それともぼくが悪かったのだろうか。そもそも正解とは何だろうか。
うちの家族に在ったのは、「不幸」あるいは「不運」だけだと、ぼくは思っている。ただ、この世の中に産み落とされた事への怨嗟だけはどうにも消せない。伝えはしなくとも。
この両親のもとに生まれてきたのがぼくでなかったら、それで、それだけでよかったのに───と、叶わないことを未だに願う。
そして、このような悲劇の当事者であるぼく自身はどうしても、一方的に新たな命をこの世に産み出す、その気になれない。
「おまえも自分が子供を持てばわかる」のような言葉の無神経さを知れ。「おまえも自分が親の教育方針で社会不適合になればわかる」、「おまえも自分が心を鬼にして大事に育てた子供の人生がめちゃくちゃになればわかる」。
さいごに
わかったような口をきくヤツがうざったいだけで、別に普通の人間や幸せな人間を恨んでいるわけではないし、当然親に復讐する気もない。
自分以外の人間には、子を成し温かな家庭を築いてほしい。各家、国家、人類の繁栄を願っている。
ぼく以外はどうか───全ての"子として生まれてくる命"と、"親として子を産んだ命"が、このような苦しみを知ることが終ぞ露もないように。生きる苦しみを乗り越えられるほどの幸福に包まれて、それぞれの一生涯を生きんことを。
街往く人も、テレビに映る有名人も、元カノも、ぼくを憶えていない昔の同級生も、そしてこの記事を読んでいるあなたも、誰の子も幸せでありますように