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【宝石の原石】② 束の間の隣り合わせ、の愛


小さい頃から、歌詞を見ながら 歌を聞くのが大好きだった。
(初めて 歌詞をまじまじと見たのは 松田聖子の『風立ちぬ』だった。懐かしー)

YOASOBIの『ツバメ』を聴いている。
優しい声。優しい音色。
大好きな曲のひとつになった。
歌詞は 全て好き。
特に 次の一節が 文字になって 降ってきた。


悲しい気持ちに飲み込まれて
心が黒く染まりかけても
許すことで認めることで
僕らは繋がり合える
YOASOBI with   ミドリーズ 『ツバメ』


ある人の、黒くなりかけた心が 澄んでいくのを 視たことがある。
それは たぶん突然のことだった。ある人の顔が、昨日と今日で全く違うのだ。
それまでの こわばりや 悲しみや 憎しみが サーっと引いていった。
許すつもりがなかったはずなのに、いつの間にか許していたようだ。

「事実は小説よりも奇なり」とは よく言ったもので、
私は 10年ほど前、ある二人が 強く惹かれあって 人生を変えるほどに、それぞれが変化していくのを目の当たりにしたことがある。ちょっとした、映画のショートストーリーを観ているようだ、と思った。
女性は、外見が、表情が変わった。本来、そういう人だったのだろうと思われる、まろやかな空気を纏うようになった。男性は、話し方や声色が変わった。安堵を初めて知ったという声だった。
ふたりが ともにいた時間は そう長くないと思う。ひとりが家庭の事情で 遠い地に引っ越したからだ。一時期、彼女は 体調を崩していて、顔色も思わしくはなかったけど、しばらくして、すっきりとした表情になっていった。

その後しばらく経った、ある日の夜、おいしいお酒とおいしいおかずをつまみながら、女性の方と話していた。
ふたりの関係が穏やかだったとは言えない時期もあったと聞いた。心底許せないと思ったこともあると。「その人の本質は、ぜったいに否定しないでいようと思っていたんだけど、時には憎いという気持ちでおかしくなりそうだったわ。」と言った。そして、憎しみを感じることも、好きだと思うことも根っこでは全て繋がっていて、全てがエネルギーのやり取りだったと呟くように言った。

憎しみを手放したときを、私は見たということだ。どす黒くなりかけたものを手放したとき、彼女は彼を許した、彼の生き方を認めたということだろうか。

本当のところは本人にしかわからないこと、もしくは本人にもわからないことだけど、

長い人生の、ほんの短い期間、近くで過ごしたことは、二人を、それまでとは違うところに連れていったようだ。こういうのは、やっぱり大恋愛って言うのかなって思いながら、なんだか ふたりには合わない気がして、言わなかった。ただ、私には、一人の男性が あんなにも幸せそうな表情を、見せた瞬間(たまたま、そういう状況に居合わせた)は、やはり 恋愛、あるいは恋愛を超えた何かが 確かにそこにあったのだと思う。

去っていった者が再び 戻ってきた時、また同じ場所で、同じふたりが過ごすことができるとはあまり思えないけど、不思議なことに、かつての、あの場所に あの時のふたりがいる、という気持ちは確かにあるのだ。

それが、「繋がり」と呼べるものかもしれない。そして、その後のふたりの人生の中で 時に それぞれを優しい気持ちにしたり、関わり合いの中で 自分を大きく変えた部分を大事に抱えながら 時を紡いでいくのだとしたら、ふたりは ずっと繋がって、甘い言い方をすれば、間違いなく「愛」と呼んでいいものを 胸の奥に抱き続けていくといえるのだろうと思う。

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