幸せとは
幸せとは、何か。
私が最近思うのは、
幸せとは、激しい感情を向ける相手がいない日々を送ること。
幸せとは、自分を失ったがための不安ゆえ、他者を攻撃するような生き方から 最も遠くにあること。
この事を以下で整理してみる。
激しい感情。
怒りや憎しみ、苛立ち。
好きすぎるのも、場合によっては、激しい感情かもしれない。
こういうものの根っこには、不安が在る。私はこれからどうなるんだろうっていうような不安。
今、(いや昔からか?)自分のことを他者に委ねることが当たり前になっているのだと思う。自分のことは、自分で決めたらいい。なのに、人が言ったからこうする、という生き方が当たり前になっている人が多すぎる。でも、それじゃいけない、自分を失ってるってどこかでは気づいてる(潜在的に、かな)から 不安になって、いらいらして、自分の思いで生きてる人を羨んで、攻撃する。
人の世で起きていることを こういう見方で 見ることができる。
誰かへの批判や排除。ハラスメント。ネットでの炎上。大勢に従わない人に対する嫌がらせ。などなど。
私が働いている空間の一部(不幸なことに自席があるところ)も、周囲に不安が渦巻いている。自席でいると、渦巻くものの重く黒いものに気分が悪くなるくらい。シャットアウトする工夫なしに、そこにいることはできない。
(※シャットアウトで最も効果があるのは音。ノイズキャンセリングの原理。違う音を鳴らして、シャットアウトしたい音が耳に入ってこないようにする。音のコントロールは、人が生きていく上でとても大切だ。これを書くと長くなるので、今は省略。)
自分を生きる覚悟ができると、不思議とシャットアウトしてる中でも、自分に必要な情報は入ってくる。だから、不必要に、周囲の不安に満ちた空気を取り込む必要はない。不安は、じわじわと周囲に伝播する。不安に満ちた空間ではシャットアウトの意識が不可欠。
その上で、もう一度、冒頭の幸せ、に戻る。幸せの定義は、人それぞれかもしれないが、少なくとも、他者を攻撃する必要がない状況、というのは確かだろうと思う。ある意味、自己完結しているということだ。他者に頼らずに 自分で自分を満たすことができる。これは案外ハードルが高いことかもしれない。でも、ここに至ると、「ああ、ここがいい」って思えるんじゃないかな。「ここにいたい」と。
ここにいたいと思える場所にいられることは、やはり幸せだろう。
不安から遠いところにいて、他者の不安にも巻き込まれない。そういう空間をどんな時にも、どんな場所でも保つことができる。そういう安定を確保したら、他者のために何かができる。
そう、自身を安らかに保つ事で終わらず、シェアすることができれば、幸せの層が厚くなっていくんだろうな。
そう在りたいものです。