こたえは いつも じぶん のなかに
※念のため書いておきますが、これは 真に人の助けを必要としている人に向けて書いているのではないです。自分を生きる力があったはずなのに、それを人を傷つけるナイフに変えてしまう人について、思いを書いたものです。
言葉を残しておくと、その後の自分を助けてくれる時がある。
いいこと言ってるねえって自己満足するときもある、、、
ちょっと前に 書いた文章に、最近 思っていたことへの答えがあって 私もいろいろ考えているんだなあと思った。
人との距離をとるのが 下手な人がいる。その人自身が、何か暗くて重いものを持っているのは分かるけど、それを処理しきれていないがために ちぐはぐで、他者を傷つけてしまう。すごく距離を詰めてきたかと思うと、次の日には 冷酷な態度で人を突き放す。そういうやり方で、何度も何度も相手を「裏切る」のだ。
その人は、「仕返し」をしてるんじゃないかなって思う。自分がされて辛かったことを、その相手でなく、他の弱そうな人にする事で憂さ晴らしをしているのだろうと思う。
ある日、その人が 普通ならそこまで入り込まないだろうってぐらい 他者の領域の内に立って 自分のことをしていた。私はそれを見たとき 私なら、あそこまで近寄ってほしくないなって思って、その近さに戸惑った。どちらかというと 私は他者と、ある程度距離を保とうとする気持ちが強いから。そうして その後 その人は どうやって相手を「裏切る」んだろうって思って、ちょっと背中が冷たくなった。
本当に相手を信頼して、相手と深く関われるならいい。自分のことを受け止めてほしいって訴えて、相手がそれを受け入れてくれてるなら。でも、それなら 自分にも責任が生じるのに、それを背負うべき時になると、「逃げる」んだ。
これは自分の被害を声高に訴える やり方だ。自分はこんなに辛いんだ、と。自分は誰かに裏切られた、だから自分も同じことをしてやるんだと。
上に引用した文では、
男性のこういう振る舞いを女性が受容する必要はないのに、「スピ」まがいのことを言って、女性に重荷を背負わせる人たちに疑問を感じる
という思いを書いたのだった。
自分の心の重たさは、結局は自分でしかわかってあげられないと思う。人は たったひとりで生きるわけじゃないけど、自分でしか引き受けられないものがある。それをわからないまま、誰かに寄りかかるだけだったり、あるいは誰かを助けようとするのは、お互いのためにならない。
それでも関わりたいと思う時、そこには覚悟が必要。
けど、なんだかんだ言って、答えは やっぱり自分の中にしかないと思う。誰かに寄りかかって、相手のエネルギーに頼ってるうちは、自分の心から目を逸らしたままなのだ。
相手のエネルギーを吸い取るのではなく、じぶんのあしで立ち、じぶんで歩く
実は、そうすることでしか「仕返し」もできないんだ。かつて 誰かに傷つけられたままの自分でいることをやめること。それが実は「仕返し」だ。その人が他者を裏切り続ける生き方をやめることができればいいけど、それも本人が決めること。