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子どもたちはメッセンジャー
毎朝、出勤する時に見る、ランドセルちゃんたちの姿は好きだ。かわいいなあって思う。そして、ランドセルを背負わなくなった、大きい高校生たちの笑い声も大好きだ。
子どもたちの心は、柔らかくて、優しい光を放っている。だから、子どもたちがいっぱいいると、その空間は明るくなるし、「子どもは宝だ」という言葉もある。
上の子が赤ちゃんだった時、ずっと抱っこしてないと寝てくれない、っていうことが続いて、他に頼れる大人もいない頃は、とても苦しかった。子どもと過ごしたい気持ちより、仕事に復帰したい気持ち、正確に言えば、育児から解放されたい気持ちが強くなった時期もあった。(が、上の子が大きくなって、買い物に誘っても「家にいるわ」って言われるようになると、「ああ あの頃もっと子どもとべったりできていれば」って思うことになるのだけれども。)
子どもたちは、親のことを、そして大人のことをとても思ってくれている。もちろん、大人が怖くて聞いてくれない、どうせ言ったって相手にしてくれない、と諦めている部分もあるけれど。でも、とてもとても大好きでいてくれているのだ。そして、日々の忙しさに疲れてしまって、目の前のことにとらわれてしまって、いろんなことを感じなくなっている大人たちに、いろんなことを伝えてくれている。
うちの子たちや、うち以外で出会ったやわらかい感性の持ち主たちが教えてくれたのは、
かぞくで食べる食べ物がどれだけ心とからだを作るか、ということ。
病気即薬、だけではない、からだのととのえかたがある、ということ。
みんながしているから自分もする、のではなく、まず自分がどうしたいかをじっくり考えること、じぶんと向き合うこと。
誰かをすぐに非難したり、攻撃したりして「相手により迫る」方法ではなく、そっと相手から離れることで自分や大切な空間を守ること。
周囲の人とにっこり笑顔を交わしながら、日々の時間をおだやかなものにすること。
大人よりゆったりした時間の流れにいる人たちは、大人が見過ごすものも、ちゃんと目に留めることができる。幸い、私は、そのやわらかい感覚をもった人と会うことができる毎日を送っている。その人たちと過ごす時間が、私の心をやわらかく、そしてあたたかく包んでくれる。
子どもって 時に 不思議な生き物だけれど、神様か、あるいは 何か大切なことを知っている人のメッセンジャーだと思う。ひとりのひととして、尊重していると、相手もこちらを、より尊重して、大事なことを ごにょごにょって ささやいてくれるんだ。