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言葉を、情報を、自分の意志で使うということ

知人が筑波大出身なのだが、ここ最近のニュースで大学のランクがどうだとか、学生寮の内情がどうだとか取り上げられているのを見ると、筑波大のことをあまり知らない人が時には失礼なことを書き込んでいて、気分がよくないと言っていた。うん、あの取り上げ方は。。。筑波大は東大などに比べて難易度があんまりなのに、あの高校から行くなんて、とか。社会で広く話題になると、どうしてもいい話ばかりが流れるものではないけど、なんだか。誰も幸せじゃないよな、というニュースになっていく一方。筑波大の職員や現役学生はどう思ってるんだろう。

多くの人が気軽に他者のことを否定的に表現するけど、それで嫌な思いをする人って、その当事者はもちろんだけど、それ以外にも見えないところで大勢いるんだよな。まあ、気分悪くなるなら、もうニュースを見ないのが一番だろうなあ。うん、見るのやめるしかないな。

話は変わるけど、ここ一年で、長年使っていたデジタルアプリを手放したり、使い方を見直すことが時々あった。Evernote完全に手放したのは結構大きい。その上、先日取り上げたPlanner for iPadも、仕様が変わったりして戸惑っている。
 デジタル関連のツールの仕様変更って、私にとっては時に暴力的なくらいインパクト大に感じるのだ。気にしすぎだろうか。それまで使えていた機能が突然使えなくなる衝撃。これ、紙媒体ならそこまでの衝撃じゃないのだ。紙媒体の場合は紛失や、自分の記入ミスなどが怖いんだけど、本当の意味で自己責任というか、きちんと手元に置いておく限り、予想もつかないような仕様変更ってないし。

やっぱりタスク管理、紙の媒体に戻そうかなあ。デジタルの便利さに急に裏切られる感じに疲れてきた。

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