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つながりを偽るという罪

つながりの中で 生命は生きる
このことを無視したところに、さまざまなひずみが生じる。

私が 今までなんとかもちこたえてきたのは、
「私が見てるから」というメッセージを タイミングよく受け取ってきたからだと思う。
ああ、私を見ていてくれる人がいるという感覚が、かろうじて自分とこの世の中を繋いでいてくれる時、というのがある。

罪深いのは、つながりを作っているかのように見せかけて、それが搾取のためのパイプでしかないことだ。見ていてほしいという思いの悪用。

つながりを、ひどい形で 踏みにじるとは、
それは、人の命を 踏みにじるということでもあるんだ。

だって、つながりが いのちを はぐくんでいるんだもの

私をここまで生かしてくれているものへの感謝が 日に日に強くなっていく
このあたたかさで、
自分の心の奥に根強く残る、悲しみの塊が 
少しずつ溶けていくのを祈りながら、一歩一歩進んでいく。

今後、
自分を開く覚悟がない人とは 
つながりじみたものを演出するような人とは
あるいは、孤独を演出して、人を引き寄せようとするような人とは
私は つながることは ない
そんなに私たちの人生長くないのだ

偽りの心のない、そういうつながりを あたためながら 歩いていくから
さようなら 冷静に生きるふりをする 寂しがり屋なあなた

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