自分が憧れる人でいる
スナフキンが
あんまりだれかを崇拝すると、本物の自由はえられないんだぜ
って言ってて、首がもげそうなくらい 頷きたくなる。
自分が見ていたいと思う自分でいたいね と思い始めた頃から 気が楽になった。数での勝負にも少し前まで とらわれてしまっていたと 書いたけれど、自分の外にあるものを基準に 自分の内にあるものを抑制すると
本当にじぶんのことが分からなくなる。
これまでを振り返ると、私にも一時期 だれかを崇拝している時期があったかもしれない。それは 時に 自分の内にある声を抑え込むことであった。そう、自由じゃない。自分に自信がないから、崇拝してる相手の声を優先させてしまったのかもしれない。
ところが、経験を積めば積むほど、驕りでもなんでもなく、間違いなく 自分の直感や考えがよかったということが増えていった。失敗があるとしても、自分の声に従ったことなら受け止められる。
働き方も、暮らし方も、自分自身のケアも、
自分がこうしたい
と心底思ったことなら 実に きれいに物事が流れる。アクシデントが皆無、ということではなく、軌道修正すらも 正面から向き合い 取り組むことができるのだ。
自分がこうありたいと思うことが 自分にとっての正解
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