出会い
「8年ぶりにカノジョができました!」
先日、教職大学院のゼミの飲み会で、同じテーブルにいた1年生のA君がうれしそうに報告をしてくれた。
彼によると、中学3年生のときに短い間だけカノジョがいた経験はあるものの、それ以来「8年ぶり2回目」なのだという。これが高校野球のチームであれば、久しぶりの甲子園出場に地元も沸き上がっていることだろう。
8年ぶりということは、高校の3年間プラス大学の4年間を「カノジョレス」で過ごしたということになる。途中、コロナ禍による外出自粛期間などがあったとはいえ、これだけのブランクを経たとなれば喜びもひとしおだろう。どうりで熱弁をふるうわけだ。
まあ、せっかくだから話を聞いてあげようと思い、
「どうやって知り合ったの?」
と尋ねると、
「マッチングアプリです」
という答えが返ってきた。
う~ん、いかにもZ世代である。しかし、驚くのはまだ早かった。A君の隣にいた2年生のBさんまで、
「私も、今のカレシとはマッチングアプリで知り合いました」
と言うのだ。
(昔から、同世代の若者が多く集まる大学や大学院では、その中で多くのカップルが誕生していた。おそらく、今でもそうなのだろう)
という私の先入観は、見事に打ち砕かれた。サンプル数が少ないとはいえ、ここまでは出会いのきっかけの100%がマッチングアプリなのだ。
しかもA君は、同じ教職大学院に通う友人からこのアプリを紹介されたのだという。この友人もマッチングアプリを通じてカノジョができたらしく、
「お前もやってみろよ」
という流れになったようだ。
しかし、A君たちと話をしているうちに、マッチングアプリに頼ることには彼らなりの必然性があるということもわかってきた。
キャンパス内という限定された空間で、たまたま身近にいた人の中から相手を見つけるよりも、多数の登録者の中から条件に合致した相手をAIに紹介してもらうことのほうが、彼らにはずっと合理性が高いのだろう。
また、キャンパス内の狭いコミュニティで、告白して失敗したり、付き合った後に破局したりすると、その後の学生生活に少なからず支障があることも予想される。思い通りにいかなかったからといって、ゲームのように人間関係をリセットすることはできないのだ。
アメリカのテレビドラマ『ビバリーヒルズ青春白書』では、限られた登場人物同士が付き合ったり別れたりをくり返していたが、ああいう人間関係の中で生きていくには鋼のメンタルが必要だと思う。
それよりは、無数の「他人」の中からAIに相手を紹介してもらったほうが、いざというときにもお互いに失うものが少ない。マッチングアプリは、リスク・マネジメントという面でも優れているのだろう。
いずれにしても、今は「テクノロジーの時代」なのである。
ちなみに、同じテーブルにいたもう一人の1年生であるCさんは、
「私は、飲み屋でカレシと知り合いました」
ということだ。まるで、昭和の歌謡曲の世界である。
今は「テクノロジーの時代」であると同時に「多様性の時代」でもあるのだ。