「学卒院生」と「現職院生」の学び合い
以前にも書いたが、教職大学院には2つのタイプの院生が在籍している。
1つ目は大学を卒業してそのまま教職大学院に進学した者たちで、「ストレート・マスター」や「学卒」と呼ばれる。
2つ目は現職の教員が教職大学院で学ぶ場合であり、「学卒」との対比で「現職」と呼ばれることが多い。
本学で火曜日の前期3・4限に行われている「カリキュラムデザイン・授業研究I・Ⅱ」の授業の場合、学校フィールドワークやゲスト・スピーカーを招くような活動は学卒院生と現職院生が合同で行い、それ以外では別々のプログラムで学んだり、途中から一緒に活動をしたりしている。
今日の授業の後半では、現職院生たち一人ひとりがこの4月から学んできたことの中からテーマを選び、学卒院生に対するプレゼンテーションと意見交換を行った。
発表をした現職院生8名のテーマは次のとおりである。
現職院生の8名にとっては、この4か月間で学んできたことを整理する機会になったとともに、学卒院生たちから様々なフィードバックをしてもらうことによって、その学びをより深める時間になったと思う。
その一方、学卒院生たちにとって、この時間にはどのような意味があったのだろうか。
1つ目は、「アンラーン」「越境学習」「主体的な学び」「教育DX」「支援者としての教師」といった今日的な教育課題について、単なる知識として身につけるだけではなく、現職院生たちのこれまでの実践や教職大学院での学びをとおして実践的に学ぶことができたことだろう。
2つ目は、現職の院生たちも悩み続け、学び続けているという姿に接することができたことだろう。これから教師になる学卒院生たちにとって、教職に就いてから何年も過ぎた中堅・ベテランの教師たちは、ともすると「完成形」のように見えていたのかもしれない。しかし、いくら経験を積んだとしても、現職院生たちは学ぶことに対する切実感、あるいは焦燥感をもち続けているのだ。そうした姿に接することによって、
・教師たちは中堅やベテランになっても悩み続け、そして学び続けている
・教師に「完成形」というものはない
ということが伝わったのだとしたら幸いである。
きっと、主体的に学ぼうとする子どもたちに寄り添うことができるのは、自らが「完成形」だと思い込んでいる教師ではなく、子どもたちと一緒に悩み、そして自らも学び続けようとする教師のほうだと思うからだ。
3つ目は、教師という仕事に「無駄な経験は一つもない」ということが示されていたことである。とかく「コスパ」や「タイパ」が重視される昨今だが、現職院生たちが悩んだり回り道をしたりしてきた過程にも実は大きな意味があったということに、学卒院生たちが気づいてくれたらと願っている。
「コスパ」や「タイパ」を優先してハウツーだけを追い求めてしまうと、教職大学院での学びは味気のないものになってしまうだろう。「学卒」と「現職」とが一緒に悩み、考える時間を大切にしてほしいと思う。