「隠れ残業」を生むだけではないのか?
文部科学省は、教員の残業時間の削減に向けて、各学校の校長の人事評価に「働き方改革」に関する観点を導入する予定らしい。また、教員の在校時間を自治体ごとに公表することも目指しているという。
文部科学省が推進する「働き方改革」については、財務省などからもその効果を疑問視する声が出ていた。今回、人事評価制度の見直しや取組状況の公表を行うことによって、取組に実効性をもたせたいというのが狙いのようだ。
しかし、
・校長の人事評価に「働き方改革」に関する観点を導入すること
・教員の在校時間を自治体ごとに公表すること
によって、むしろ逆効果になる可能性のほうが高いように思われる。
たとえば前者については、学校が「いじめの重大事態」や「教職員の不祥事」を隠蔽しようとする問題を想起させる。こうした隠蔽の裏には、当該校の校長に、
「問題を公にすると、校長としての管理能力や指導力が不足していたと判断され、人事評価に響くのではないか」
という心理が働いていたのではないかと推察されるからだ。
また、後者は「全国学力・学習状況調査」における「行き過ぎた事前対策」のことを思い起こさせる。
「全国学力・学習状況調査」の「都道府県別ランキング」に一喜一憂する自治体であれば、大なり小なりこうしたことは行われているのだろうと思う。
他と比較をするような公表の仕方をすれば、数値目標を達成すること自体が目的化し、そのための手立てが講じられるようになることは目に見えている。
結局はどちらの施策も、
・残業時間の虚偽報告
・サービス残業や仕事の「持ち帰り」の奨励
などによって「隠れ残業」を生むだけではないだろうか。
いたずらに数値を追い求めれば、取組に歪みを生じさせるだけだ。それによって実態と乖離した数値が独り歩きするのならば、まるで戦時中の「大本営発表」である。
それとも、文部科学省にはこうした施策に実効性をもたせるための秘策でもあるのだろうか?