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「教職調整額」を増額しても「教員の働き方」は改善されない(中編)

 前回の記事では、
・「教職調整額」を増額しても「教員の働き方」は改善されない
・むしろ、増額によって「教員の働き方改革」の問題に決着がついたかのような印象を与えたり、増額したのだからこれまで以上に働けという空気が生まれたりすることを懸念する
 ということを書いた。

 教員にも民間企業などと同様に「残業代」を支給するのか、それとも「教職調整額」の仕組みを維持しながらその改善を図るのかについては、「教員の働き方」を考えるうえで避けては通れない問題である。

 だが、それはゴールではない。

 ゴールはあくまでも、
「教員の長時間労働の是正」
 なのである。

 今回の中教審特別部活で議論された内容については「教育新聞」で詳しく紹介されているが、それを読むかぎり、
「本当に問題のゴールが意識されているのか?」
 と言わざるを得ない。

 この記事では、
「時間外勤務手当については、公立学校教員の業務にはなじまないとの意見が圧倒的に多かった」
 として、4名の委員の意見が紹介されている。

 全国連合小学校長会(全連小)会長の植村洋司委員(東京都中央区立久松小学校長)は「学校では毎日さまざまなことが起こり、学級担任はさまざまな対応をしている。放課後の職員室では、保護者に個別に丁寧に電話をする姿もあるし、臨時に学年会を開いたり、生活指導主任を囲んで話し合ったりするのも日常茶飯事だ。時間で区切れない業務が学校には山積している」と説明。「このような職務の特殊性の実態を踏まえ、学校管理職が教師一人一人の勤務時間の内外を精緻に切り分け、時間外勤務が必要かどうかを適切に判断することは実務上極めて難しい」と、学校管理職の実感を込めた。

 戸ヶ﨑勤委員(埼玉県戸田市教育長)は教育長の立場から「学校管理職が教師の個別具体の職務について見届けていくことは、そもそも不可能に近い。時間外勤務の命令を個々に発することは当然なじまない」と指摘。その上で「より良い授業に向けた教材研究とか、授業準備には際限がなく、教師の主体性に期待する面が大きい。そのような際限のなさを管理職が超過勤務として見とって時間に換算するような処遇改善は、教師一人一人の職務の裁量を縮めてしまう恐れもあるのではないか」と述べ、専門職としての教員の裁量を確保するためにも勤務時間の内外の切り分けには慎重な立場をとった。

 橋本雅博委員(住友生命保険会長)は民間企業の勤務管理の実態に触れ、「管理職が厳密な時間管理を行って残業する場面を設定することは、実際のオペレーションではなかなか難しい。実態としては、個々の人が自分の残業を判断して、それを管理職が追認しているケースが多い。管理職が校長と教頭の2人しかない学校で、教師一人一人の業務状況を把握した上で時間外勤務を命じることは、現実にはさらに難しいと感じている」と述べた。

 秋田喜代美委員(学習院大学教授)は「管理職が時間外勤務手当という形で勤務時間の内外を管理することは、教員の高度専門職としての自律性を損なう。それとともに、管理職の業務負担をさらに増やす。だから、時間外勤務手当は適切ではない。その代わりに、教職調整額の在り方を考えるべきだ」と指摘した。

2024年4月4日付『教育新聞』より

 たしかに、私自身の校長としての経験を踏まえて考えてみても、教員の時間外勤務について管理することが「実務上極めて難しい」「不可能に近い」「現実には(民間企業よりも)さらに難しい」という感覚は理解できる。

 しかし、「難しい」ということと「できない」「やらない」ということとは全く別だ。たとえば、「いじめ」を根絶すことは「難しい」が、だからといってその対策を「できない」「やらない」とは言わないし、言えないはずなのだ。

 この「教職調整額」に関しては「定額働かせ放題」のためのシステムだと揶揄されることがある。しかし、本来はそういうものではなかったはずだ。調整額の枠外に超過勤務が生じないように、管理職には労務管理をすることが求められているはずなのだ。

 それにもかかわらず、「極めて難しい」「不可能に近い」と言い切ってしまえば、それは労務管理を放棄するということになってしまうだろう。

 また、委員の発言の中に「専門職としての教員」「高度専門職」という言葉が出てくるのも気になる。たしかに、教員には専門性が必要である。だが、専門性が必要なのはどの仕事だって同じだろう。

 私はこれまで、公立小学校の教員や管理職のほかに、公益法人の職員(1年間の出向)、教育委員会の指導主事や管理職、教員向け研修施設の支援員、大学教員などの仕事を経験してきた。

 振り返ってみると、どの仕事にもそれぞれに専門性が求められていた。教員だけが特段に高い専門性を必要とされているとは思えないのだ。

 ・・・ちなみに私は、教育委員会の指導主事を務めていた時期に「残業代」を受け取っていた。私が勤めていた自治体の場合、指導主事になる際には教員から行政職員に転籍をすることになるため、他の行政職員と同じように時間外勤務には「残業代」が発生するのだ。

 指導主事になって初めてもらった給与明細。そこに「残業代」が記載されていて驚いた記憶がある。しかし、それに驚くほうがおかしいのだろう。「残業代」が出るのは当たり前のことなのだから。

 この当時、どのような時間外勤務を行っていたのかといえば、たとえば教員研修のための資料作成、市会議員への事業説明、学校にアンケート調査をした回答の集計などである。

 これらを教員の仕事に置き換えると、教材作成、保護者対応、テストの採点などに近いだろう。けっして教員の仕事だけが特別なわけではないのだ。

 また、当時の上司だった課長は、時間外勤務に関することも含めた労務管理を行っていた。他の部署には、30名以上の指導主事を抱える課長もいたが、やはり同じように対応をしていた。なぜなら、それが管理職としての責務だからである。

 おそらく、当時の課長たちは労務管理上の難しさを感じていただろう。しかし、くり返しになるが「難しい」ということと「できない」「やらない」ということとは全く別物なのである。

(付け加えると、国立や私立の学校には「残業代」を支払う制度がある。国立や私立にできて公立にできないのだとしたら、その理由はどこにあるのだろう。)


 ・・・委員の多くが時間外勤務の支給に否定的な意見を述べるなかで、妹尾昌俊委員の主張は異なっている。

 時間外勤務手当の支給に否定的な意見が相次ぐ中、妹尾昌俊委員(ライフ&ワーク代表理事)は、給特法の枠組みを維持して時間外勤務手当を支払わない状態を続けた場合について、「問題の一つは、時間外勤務の多くが教員の自主的・自発的な行為とされ、労働基準法上の労働に当たらないということだ。これを解決できない」と、鋭く指摘した。給特法の枠組みの中で、時間外勤務を教員の自主的・自発的行為とする解釈は、超勤手当の支払いを求めて訴訟を起こした教員側が敗訴する理由にもなってきた。

 妹尾氏は「例えば、土曜日や日曜日の部活動指導について、手当や旅費として公費が出ているにもかかわらず、時間外勤務命令を出したものではないという位置付けで、労働基準法上の労働ではないという、非常にちぐはぐな法制度になっている。こういうことも含め、本当にこれでいいのか、しっかり考えないといけないはずだ。教員を高度専門職だといくら言っても、時間外勤務を労働として認めないような制度のままでいいのか。これは対策を考えていく必要があるだろう」と続けた。

 ただ、公立学校教員に労働基準法を適用して時間外勤務手当を支払う案については「メリットとデメリットの両方がある」と慎重な見解を表明。「労働基準監督機関の在り方、勤務間インターバルなどの健康確保なども含め、いろいろな政策と組み合わせながら、より望ましく、副作用がより小さくなることを考えていく必要がある」と発言を結んだ。

2024年4月4日付『教育新聞』より

 私は妹尾委員の意見に大筋で賛成である。これについては、次回に詳しく述べたい。
(つづく)

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