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【続】学校の「当たり前」

 前回の記事で、学校が学級閉鎖をする際の基準は全国一律ではないということを書いた。

 学級内での欠席者の割合に目安を設けている場合でも、そこには「10%〜40%」と大きな幅があるし、明確な基準をつくることを避けて「学校長の判断」「ケースバイケース」などと曖昧にしているところも少なくないのである。

 このように、ある自治体にとっての「当たり前」が、他所でも同じだとはかぎらないのだ。


 この記事を書いた直後に思い出したのだが、今年の5月にこんなことがあった。

 その日は、教職大学院の院生たちと横浜市内の市立小学校を訪問し、フィールドワークを行ったのだが、当日は学校の職員用玄関の近くに現地集合をすることになっていた。

 ほぼ全員が集まったころ、校庭ではスプリンクラーによる散水が始まった。横浜市内の学校関係者にとっては、ごく当たり前の光景である。

 ところが、それを見た院生たち、特に現職の院生たちの間から、

「なぜ、校庭にスプリンクラーがあるんですか?」
「校庭で火事でも起きたんですか?」

 という驚きの声が上がったのである。


 校庭の砂埃が周辺にある民家の迷惑にならないよう、定期的にスプリンクラーで散水をすることは、横浜市内では当たり前のことである。

 だが、学校の周囲が田畑である地域では、お互いさまなのだからスプリンクラーなど不要だろう。

 また、都心の学校のように校庭の表面がアスファルトや樹脂、人工芝などで覆われている場合にも、散水するという発想は出てこないだろう。


 このスプリンクラーの事例は、ほんの些細なことかもしれない。

 けれども、これまで自分が「当たり前」だと思っていたことが、実はそうではないということに気づけるのは、当人にとって大切な経験だと思うのである。

 現職教員が教職大学院で学ぶことの意義は、案外こういうところにもあるのかもしれない。

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