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「想像の象」
日光東照宮には「想像の象」と呼ばれる彫刻がある。「眠り猫」「三猿」と並ぶ東照宮三彫刻の一つといわれ、上神庫の屋根の部分で見ることができる。
この「想像の象」は、江戸幕府の御用絵師だった狩野探幽が、本物の象のことを知らないまま、話を聞いただけで想像して下絵を描いたものだされている。
そのため、実際の象とは違って、耳が小さかったり、体が盛り上がっていたりするなどの特徴がある。
まあ、これはこれで味わいがあるのだが。
学校教育のなかにも、本当のことを知らないまま想像で進められているのではないか、と疑いたくなるものがある。
たとえば「チーム学校」だ。
この言葉がよく使われるようになったのは、2016年(平成28年)に公表された「次世代の学校・地域」創生プラン(馳プラン)のなかで用いられたことがきっかけである。
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もともとは、学校教育目標の達成や学校の課題解決に向けて、教職員や児童生徒だけではなく、保護者や地域住民、そしてスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどの専門スタッフが、文字通り「チーム」として取り組むことを意味していたはずだ。
しかし、最近はどうだろうか?
たとえば校長が、
「担任に欠員が生じていますが、『チーム学校』でこの難局を乗り切っていきましょう」
と言うときの「チーム」に、保護者や地域住民、専門スタッフが含まれているとは思えない。
また、運動会や体育祭などのイベントの際に教職員が揃いのTシャツを着て、
「俺たち『チーム学校』だね」
と、悦にいっている様子も目に浮かぶ。
けれども、このTシャツが保護者や地域住民、専門スタッフにまで行き渡っているのかといえば、けっしてそうではないだろう。
最近の「チーム学校」は、「教職員の和」「教職員の一体感」と同義語になっているのではないかと感じるのだ。
言うなれば「想像の『チーム学校』」である。
いや、狩野探幽の『想像の象』は、少なくとも象の「長い鼻」という特徴を押さえていた。
「想像の『チーム学校』」は、その域にさえ達していないのではないだろうか。