啐啄同時
先日、ある研修会で「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉を久しぶりに聞いた。
この四字熟語のうち、「啐」は雛が孵化するときに殻の中で鳴くこと、「啄」は母鳥が外から殻をつつくことを意味する。
雛が殻から出ようとする時期と親鳥が外側から突くタイミングが一致すると、雛は安全に誕生することができるのだそうだ。
禅宗では、この「啐啄同時」と同じように、師匠と弟子の呼吸が一致するときに悟りが得られるのだとされてきた。
そこから転じて、師匠と弟子の間で技を伝承するための望ましい姿として、芸の世界などでも用いられている言葉である。
師匠が弟子を手取り足取り教えるのではなく、だからといって放任するのでもなく、機が熟すまで待つことが重んじられてきたのだ。
最近の学校教育では、学びに対する子どもの主体性を尊重し、教師はそれを支える「伴走者」になることが求められていると言ってよいだろう。
子どもの成長を見守りつつ、本人の必要感が高まれば手を差し伸べる。まさに「啐啄同時」である。新しいようでいて、実は昔から行われていたことなのだ。
しかし、この適切なタイミングを見計らうというのは、なかなか難しいことでもある。
卵を突くタイミングが早すぎたり、強く突きすぎて雛の体を傷つけてしまったり・・・。
そういう失敗も、きっと昔から繰り返されていたのだと思う。たぶんね。