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留学生
私が担当するプログラムで、今年度は外国人留学生を1名受け入れることになった。
大学や大学院に留学生が在籍すること自体は、特に珍しいことではない。だが、私が勤務している教職大学院では、これまで留学生を受け入れていなかったのだ。これは、教職大学院というものの特性によるところが大きいだろう。
本学を含めた全国各地の教職大学院には、「教員養成に寄与する」という使命がある。そこには、あくまでも「日本の教員養成に」という暗黙の了解があったように思われる。
けれども、近年のグローバル化を踏まえて、本学ではアドミッション・ポリシー(入学者受け入れ方針)に「日本型教育システムを学校経営や教育実践等の観点から国際的に展開できる人材を養成する」という一項を加えた。そして、今年度から留学生を受け入れるに至ったのである。
私が担当するプログラムに入学してきた留学生は、6年前に来日したそうだ。その後、日本語学校での2年間の学びを経て日本の大学に入り、この3月に卒業した後に本学へ入学してきたのだ。
大学時代には教職課程を履修し、教育実習も行って日本の教員免許を取得済である。先日の新入生オリエンテーションでは、日本語で教員や院生たちと談笑する場面も見られた。授業の際に言語の面で特別な配慮をする必要はなさそうである。
だが、おそらく別の面で配慮が必要なことはあるだろう。彼女はムスリム(イスラム教信者)の女性で、ニカブと呼ばれる黒い衣装を纏っている。
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ムスリムの女性が着用する衣装には何種類かある。日本で見かけるのはヒジャブやチャドルが多い。彼女が身につけているニカブは、両目以外の全身を布で覆うものだ。
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私たちは彼女に対して、どのような支援ができるだろうか?
思い出したのは、2年ほど前に読んだ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(ブレイディみかこ著・新潮社)のなかに登場する次のようなエピソードのことだ。
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ニュージーランドのモスクで銃乱射テロが起きたとき、アーダーン首相がスカーフをヒジャブ風に頭に巻いていた映像が話題になった。愛と思いやりの象徴のような姿と報じられ、多様性と連帯の重要性を示したと賞賛されたが、意外なところにアンハッピーな人がいた。
わたしのイラン人の友人である。
新鮮なサーモンを入手したので、サーモンちらし寿司をつくって日本食が好きな彼女を呼んで週末のランチとしゃれこんでいたときのことだった。スカーフを頭に被ったアーダーン首相がテレビに映っているのを見て、友人が言ったのである。
「物をよく知らない大学生が、また感傷的になってああいうことをやっちゃうのよね」
「大学生じゃないよ。彼女はニュージーランドの首相」
わたしが言うと、友人は驚いたように答えた。
「え。女性首相だってのは知ってたけど、あんなに若いの? 大学生かと思った」
「やっぱダメなの? 異教徒がヒジャブを被るのは?」
「異教徒とか、そういうのはどうでもいいんだけど」
友人はそう言って日本人顔負けの美しい箸さばきでサーモンの切り身を掴む。彼女はワインもけっこう飲むし、熱心なムスリムではない。それをよく知っているので、宗教的な問題ではないだろうとは思っていた。理由は別のところにあるのだ。
「この映像を見て気分を害しているムスリムや元ムスリムの女性はたくさんいると思う」
と彼女は言った。
「ヒジャブは女性への抑圧と差別のシンボルだから、一国のリーダーならよけいに被ってほしくない。大学生なら感傷的になってやっちゃうのもわかるけどね」
私たちは彼女に対して、どのような支援ができるだろうか?
私自身にとって、今年度の大きなテーマの一つである。