「侵略者」は「友達」の顔をして近づいて来る!?
先日、Facebookで「友達」になっている方が、こんなことを書いていた。
ジョナサンをはじめ、同系列のガストや夢庵などでもよく見かけるようになった猫型ロボットのことだが、まったくもって同感である。
愛嬌のある風貌。コスパやタイパを度外視したように思えるゆっくりとした動き。
思わず「応援したくなる」という気持ちはよく理解できる。
この猫型ロボットを見て、最初に連想したのは手塚治虫の漫画『火の鳥』に登場するロビタというロボットのことだ。
アンドロイドのように精巧ではなく、一般的なロボットとも区別されるロビタは、人間にとって不思議な存在だった。
主に家事や育児などに従事するロビタは、他のロボットと違って失敗をすることも多い。
けれども、人間たちが忘れ去っていた古い遊びや話を覚えていたり、人間くさい態度を取ったりすることなどもあって、所有者からは家族のようにかわいがられているのだ。
それもそのはず。ロビタの頭脳には、レオナという実際の人間の知識や思考が埋め込まれ、そのコピーが大量生産されていたのだから。
・・・無論、ファミレスの猫型ロボットにこのような背景はない。だが、人間に受け入れられやすい条件としての共通点はあるように思われる。
次に連想をしたのは、Chat GPTのことだ。
Chat GPTは、すでに様々な点で人間を凌駕している。しかし、ときどきトンチンカンな回答をするなど、まるでロビタのような一面も見られる。
たとえば先日、ある小学校でICTを活用した国語の授業を参観したときのことだ。
授業で扱った物語文の解釈について、担任の先生がChat GPTの「見解」を聞くためにプロンプトを書き込んだ後、子どもたちに、
「どんな回答をしてくると思う?」
と予想させた。
すると、
「私はAIであり、個人的な感想をもつことができません」
と、Chat GPTの杓子定規な回答を先回りして予測する子がいたのである。
・・・だが、この授業を参観してから数日後に思い出したのは、私が高校生のときに読んだ山田正紀の『襲撃のメロディ』というSF小説のことだった。
小説の冒頭では、巨大電子頭脳が人類を支配しようとする動きが加速するなか、世界中でそれに対する反対運動が巻き起こっている。そこに、こんな場面があるのだ。
巨大電子頭脳は「隙」を見せて油断させながら、したたかに人間たちを支配しようとしていたのである。
やがて、数少ない「気づく者」の一人だった主人公は、巨大電子頭脳とその周辺にいる人間たちに対して闘いを挑むことになる、というのが『襲撃のメロディ』のストーリーだ。
・・・この「混乱(コンフューズ)ゲーム」の描写が、Chat GPTに向き合っている私たちの姿とどうしても重なってしまう。
ここで「陰謀論」を語るつもりなど微塵もないが、一抹の不安を感じてしまうのも事実である。
そんな思いでファミレスの猫型ロボットの写真を眺めると、愛嬌はあるものの、なんとなく「何か企んでいる」ようにも見えてきてしまうのだった。
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