「見舞金」で切り崩されてはならない
5月7日付の「教育新聞」に、立教大学の中原淳教授と(一社)ライフ&ワークの妹尾昌俊代表理事による対談が掲載されている。
対談の内容は、中教審「質の高い教師の確保特別部会」の「審議まとめ案」に関することだ。
この「審議まとめ案」のなかには、教職調整額の引き上げ案が盛り込まれている。しかし、中原教授はこの引き上げ案に対し、一貫して「手段と目的が整合的ではない」と批判をしている。
中原教授による批判の矛先は、審議の内容のみならず、その審議のあり方自体にも向けられている。それは次の言葉に集約されるだろう。
対談の相手である妹尾氏は、この特別部会の委員の一人でもある。先日の審議でも孤軍奮闘で「まとめ案」の内容に疑義を唱えていた。その一方で中原教授とは異なり、実現可能な範囲で何とか落とし所を探ろうとしているようにも見受けられる。そこはお二人の立ち位置の違いだろう。
・・・しかし、この対談をとおして、今回の「まとめ案」が抱える問題点とその背景が鮮明になっていることは間違いない。
中原教授は、対談のなかでこうも述べている。
まったく同感である。本来、教員に支払われるべき時間外勤務手当を「賠償金」にたとえれば、教職調整額はたとえ増額されたとしても「見舞金」程度のものなのだ。
・・・映画やテレビドラマのなかで、環境汚染や重大な事故を起こした大企業を相手取り、住民たちが賠償金を求める集団訴訟を起こす場面が描かれることがある。
最初は一枚岩だった住民たちが、大企業と結託した政治家、役人、弁護士たちによって切り崩されていくのは、こうしたストーリーの定番だ。
そして、大企業側の人間が好んで使うものとして、地縁や血縁などのほかに「見舞金」がある。請求している「賠償金」よりも桁が一つか二つ少ない「見舞金」をチラつかせ、住民たちのなかの弱い部分から切り崩しにかかるのだ。
「裁判は長引きますよ」
「敗訴したら一銭も手に入らない」
といった揺さぶりに屈して誰かが「見舞金」を受け取ってしまったら、もう住民たちは一枚岩ではなくなる。
抜け駆け、疑心暗鬼、裏切り、分裂・・・。大企業側の思うつぼだ。
・・・すでに学校関係者の間にも、
「教職調整額が4%から10%以上になるのなら、それでもう十分ではないか」
という声が少なくないと聞く。
だが、中原教授が懸念をするように、
この「見舞金」をもってして、これらの問題が「解決の方向に向かった」と位置付けられる
ということは確実なのだ。
教員の長時間労働の問題はうやむやになり、「増額された分、もっと働け」という風潮も生まれることだろう。
映画やテレビドラマであれば、そこから形勢を逆転してくれる「正義の弁護士」が現れるところだ。しかし、この問題にそれは期待できない。