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【読書ノート】勅使川原真衣『職場で傷つく』(大和書房)
前々回と前回の記事で、勅使川原真衣氏の著作を紹介してきた。
今回紹介をするのも同氏の著作で、今年7月に出版された『職場で傷つく』である。これまでに紹介した2冊と同様、本書に通底しているのは「能力」と呼ばれるものを巡る生きづらさの構造と、それを乗り越えるために必要なものは何なのかということだ。
著者は本書で、仕事をしていると多くの人が感じるモヤモヤを「傷つき」と呼んでいる。そして、それを切り口にして能力主義を乗り越えてようと試みているのだ。
いわゆる「ハラスメント案件」や「メンタル案件」として表面化すること以外にも、一方的な人事評価、組織内での孤立化、就職時の学歴フィルターなど、仕事に関係した「傷つき」を経験する人は数多い。
その「傷つき」が、「強い・弱い」「できが良い・できが悪い」といった能力主義によって生じていることは間違いないだろう。
また、「傷つき」を感じた本人が異議を申し出たくても、それを感じること自体が「能力が低い」と見なされたり、本人が自分の能力不足だと思い込んでしまったりして、多くの場合には「なかったこと」にされてしまう。能力主義は能力主義によって守られ、強固になっているとも言えるのだ。
しかし、「能力」と呼ばれるものは、環境や周囲の人との関係性によって変化していく一時的な「状態」に過ぎないのである。
著者は、そうした曖昧な「能力」によって断定・他者比較・序列化をするのではなく、個々が発揮しやすい「機能」の持ち寄りを考え、その「組み合わせ(関係性)」を調整し続けることが必要だ、と喝破している。
実際に本書には、対話や配置転換などを経て、「機能」の持ち寄りや「組み合わせ」の調整が上手くいった事例がいくつも示されているのだ。
著者は本書の最後に、能力主義を乗り越えていくためには、他者への感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉で表現していくことなど、「ことばじり」から社会の変革に挑むことが必要だと述べている。
・・・世の中全体を息苦しさが覆っているなかで、著者のこうした主張には共感を覚える。しかしその一方で、次のような疑問も残るのだ。
・規模の大きな組織であれば、著者が言う「機能」の持ち寄りや「組み合わせ」の調整も十分に可能だろう。しかし、小規模の組織でもそれができるのだろうか?
・「機能」の持ち寄りや「組み合わせ」の調整によって、企業や学校などの組織に変化をもたらすことは大いに期待できる。けれども、その「入口」である就職活動や入学者選抜に際して、「能力」に代わる指標はあるのだろうか?
・これまでに能力主義の恩恵を存分に受けてきた「勝ち組」の人々が考え方を改めなければ、社会を変革することは難しいだろう。そのマインドセットをどのように図っていくのだろうか?
・・・勤務先の教職大学院では、今日(12月27日)が2024年の最終授業日だが、ある授業に勅使川原真衣氏がゲスト・スピーカーとして参加されるという。
私もお話を聞かせていただき、機会があれば質問をさせていただきたいと思っている。