「ナイスプレー」と「ナイストライ」
スポーツの世界には「ナイスプレー」と呼ばれるものがある。
たとえば野球で言うと、
「痛烈なライナーを横っ飛びでキャッチする」
「相手の意表を突いてセーフティバントを決める」
ことなどが、この「ナイスプレー」に該当する。
その一方で、
「ライナーを横っ飛びでキャッチしようとしたらグラブで大きく弾いてしまい、長打にしてしまった」
「意表を突いたセーフティバントがフライになり、アウトになった」
など、紙一重のところで「ナイスプレー」にはならなかったものも少なくないだろう。
こういうときに監督やコーチが、
「何やってんだ!」
と怒鳴ってしまうとどうなるだろうか?
おそらくその選手は萎縮してしまい、次からは思い切ったプレーを避けるようになってしまうだろう。
けれども、
「ナイストライ!」
と、その積極性を評価してあげれば、次には本物の「ナイスプレー」が生まれる可能性が残ると思うのである。
これはスポーツ以外のことにも当てはまる。
たとえば部下が仕事で失敗をしても、上司が結果だけではなくその意図や過程を的確に評価してあげれば、そのモチベーションを維持したり、逆に向上させたりすることもできることだろう。
このところ、深刻な教員不足の解消に向けて、国や教育委員会が様々な施策を打ち出している。たとえば、
・・・などである。
それらが十分に議論された上での妥当な施策であれば、たとえ短期的に結果が出なかったとしても、
「ナイストライ!」
として評価をしたい。
しかし、野球に例えたときに、
「2アウトからの送りバント」
のような施策に関しては、
「何やってんだ!」
と言うしかないのである。