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《続》それって、このタイミングで言うことなの?

 前回の記事では、元文部科学副大臣の鈴木寛氏(現、東京大学・慶應義塾大学教授)が提言し、文部科学省の担当者も賛同している「教員の原則修士化」について、

今後、教員にとって高度な学びが必要になることは間違いないだろう。しかし、それがなぜ「原則修士」なのかは理解できないし、そもそも学校現場が「多忙」や「教員不足」に苦しんでいるこのタイミングで言うべきことではない。

 ということを書いた。

エビデンスはあるのか?

 この記事について、何人かの読者の方から感想や質問をいただいたが、そのうち複数の方から、
「大学院を修了することによって教員の『質』が向上したというエビデンスはあるのか?」
 という質問があった。

 結論から言うと、それは「わからない」。
 教員を「大学院修了」群と「非・大学院修了」群とに分けて調査・比較をすることなど、量的にも質的にも不可能だろう。

「感覚的にはどうか」ということであれば、大学院を修了した教員のなかに意欲が高い人や先進的な仕事をする人が多いような気もする。しかし、それが大学院に通ったことによる成果なのか、それとも本人の元々の資質だったのかは不明である。

 その一方で、私が尊敬する教師や学校管理職のなかには、当然のことながら大学院とは無縁の人も大勢いる。逆に、かつて私が教育委員会に勤めていたときに担当した「指導改善研修」の受講者のなかには、修士号をもっている人が何人かいた。

 ・・・おそらく、今回の「教員の原則修士化」という提言も、
・諸外国には、教員の資格に「修士」を必要としているところが少なくない
・大学院に通えば、教育について学ぶ量(期間)が増える
・大学院であれば、学部時代の「教職課程」よりも質の高い内容が学べるはずだ
 といったことが根拠になっているのだろう。

「能動的」か「受動的」か

 とはいえ、私の身近なところにいる教職大学院生には、熱心に学んでいる人たちが多い。教職大学院には、
・「現職」:教育委員会等からの派遣や自己啓発で学んでいる現職教員
・「学卒」:学部を卒業後、教員経験のないまま進学してきた者
 という2種類の院生がいるが、どちらも授業に対して主体的に取り組んでいると感じる。また、授業以外にも自主的な勉強会を開いたり、休日に学会やセミナーに参加したりと能動的に学んでいる人が多い。

 ・・・だがそれも、一部の「選ばれた人」「熱心な人」が集まっているからなのかもしれない。これがもし「教員の原則修士化」が現実になったら、教職大学院には「教員になるために仕方なく、受動的に学ぶ」という人が増えることだろう。

 ちなみに、「仕方なく、受動的に学ぶ」という言葉ですぐに思い浮かぶのは、先日廃止された「教員免許状更新講習」のことである。

教職大学院の定員充足率

 前回の記事では、文部科学省の担当者による言葉をいくつか紹介したが、そのなかに次のような内容もあった。 

 その前提として考えていくべきこととして、まず、教職大学院の現状があります。教職大学院は全国に54ありますが、合計した定員は2500人あまりで、それも未充足になっています。これに対して、時間的・経済的コストの面で大学院レベルの学びに向かうインセンティブを付けることが必要と思っています。

 これについて私は、
「結局、充足率が低い教職大学院の定員を埋めるために、『教員の原則修士化』を推しているのだろうと読み取れてしまうのだが・・・。」
 と書いた。

 もちろん、真偽のほどはわからない。しかし、教職大学院の定員充足率が低いことは周知の事実である。

国私立の教職大学院の入学者数及び入学定員充足率の推移

 全国に54校ある教職大学院の定員充足率(令和5年度)は平均84.9%であり、このうち充足率5割未満のところが3校ある。

 このままでいけば、「法科大学院」と同じように淘汰されるところが出てきても不思議はない状況なのだ。

教職大学院生を対象にした「奨学金の返済免除」

 そして、このタイミングで発表されたのが、「教職大学院生を対象に、奨学金の返還を免除にする」という文部科学省の方針である。

 前述した「充足率が低い教職大学院の定員を埋めるために、『教員の原則修士化』を推しているのだろう」というのは邪推なのかもしれない。

 しかしながら、「教職大学院の定員未充足」「教員の原則修士化」「教職大学院生対象の奨学金返還免除」の3つをつなげてみると、やっぱり1つのストーリーが出来上がってしまうのだ。

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