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私は怒っていません!
最近、特に小学校の教員から次のような話を聞くことが多い。
子どもがよくない行動をしたので「指導」をした。
ところが、放課後にその子の保護者から、
「ウチの子が先生に『怒られた』と言っています」
と、問い合わせ(もしくは苦情)の電話があった。
教員の指導が客観的に妥当なものだったとしても、こうなってしまうケースがあるようだ。
その理由は、いろいろ考えられる。
子どもの言葉を表面的に受け止めてしまい、「どのような状況だったのか」「ウチの子に否があったのではないか」と考えようとしない保護者もいるだろう。
それに加えて、子どもの「語彙が乏しいこと」にも原因がありそうだ。
一部の子どもにとっては、
「注意された」
「指導された」
「諭された」
「諌められた」
などが十把一絡げで、
「怒られた」
になってしまう。
それが保護者の誤解を誘発するのだ。
このようなとき、保護者へ安易に謝罪をすることは禁物である。まずは、「どのような状況だったのか」「どのように指導をしたのか」を説明して、相手の反応を待つべきだ。妥当な指導であったならば、その説明で納得する保護者も少なくないだろう。
もしも、「指導中の声が少し大きすぎたかもしれない」といった自覚がある場合には、その部分については反省と改善の意思を伝えればよい。それによって、振り上げた拳を下ろす保護者もいることだろう。
だが、どれだけ丁寧に説明をしても理解してもらえない場合には、「平行線」になるのも致し方ない。
その場合には、「どのような状況だったのか」「どのように指導をしたのか」をさらに繰り返して伝えるとともに、相手に応じて、
「ご理解いただけないのは残念です」
「これからも、よいことは褒め、そうでないことについては状況に応じて指導していきます」
「これ以上、お伝えできることはありません」
等々の言葉を付け加え、話を打ち切るしかない。
教員には真面目な人が多い。そういう真面目な人ほど、どうにかして問題を円満に解決したいと思いがちである。
けれども、世の中には、どれだけ誠意をもって対応しても納得してくれない人は存在するし、どれだけ努力をしても解決できない問題はあるのだ。「平行線」になることをおそれてはいけない。
稀に校長のなかには、教員に対して、
「保護者から苦情があったときには、かならず謝りなさい」
という「指導」をする方がいるようだ。
そういう校長に対しては、「どのような状況だったのか」「どのように指導をしたのか」を説明し、それでもダメなら、
「ご理解いただけないのは残念です」
「これ以上、お伝えできることはありません」
と言って話を打ち切るしかないだろう。