走ることの意味
秋が来たと思ったら、もう冬。
先日、なぜ走るのか を考えさせられることがあった。私は今陸上クラブに関わらせていただき、気づいたら中学生以来走ることに関わり続けている。
立場や世代が変わることに、自分にとって走ることはどういう事か?は変わってきていると感じる。
中学生、走るたびにタイムが伸びて純粋に面白い、走ることが得意な事なのかなと思い始める。
高校生、たくさん失敗して周りに迷惑をかけた事もあった。走る事で周りに恩返ししたい、走って結果を出すことで見返したい、と思っていた。
実業団、自分が "走ること" でどこまで成長できるか試したい。その過程で、悔しいことも楽しいことも。その悔しさを晴らしたいと思って走ってた時もあった。走ることで、自信をもらえたり、失ったり。
実業団時代、ある日、監督に聞かれた。
「中村は何のために走ってるんだ?」
「試合でいい結果を出す(勝つ)ためです。」と答えた。
そしたら「それだけのためじゃないだろう?」その後がどんな会話をしたのか思い出せない。
しかし、じゃぁ何のためにに走るんだろう?って思ったし、勝つためです!以外の答えが見つからなかったのを思い出す。
大人のランニング指導をするようになって、その会話を思い出す。
勝つため、速く走るため、だけに走っていると終わりは見えて、絶望感がやってくる。速さ=自分の価値、みたいにさえも思えてきて、全ての自信を勝手に失ってしまう。
そう気づいた時、監督が言いたかった事が少し分かる気がした。
だから、監督は私に "なぜ走ってるの?" って聞いたのかな。監督もそれを経験済みだったのかな。その時は、その意味を私は理解してなかったな。(真意はわからないし、何気ない会話だったから、監督は覚えてないかもしれない。)
中学生から自分の中で、走ることの意味は変化し続けて、今は、走ること その動作そのものを考えることが多い。改めてその動作に興味がある。
また、速さ関係なく走る動作をしてる時に、気持ちよさ、爽快感を感じる。(→過去の記事より)
今は選手でなくなり、速く走らねばならないという気持ちもなくなったからこそ、自分の中の走る意味は変わってきたんだなと思う。
純粋に気持ちいいな、と思えた時、それは同時にスムーズに走れているってことで、スムーズってことは自分の中でいい走りなのである。
いい走りって何かは人それぞれだが、自分のにとっては、気持ち良さ、爽快感、景色、風などを感じられるということは、体にも走りにも何の違和感もなく、その走りが良いってことなのだと思う。
今は速さは求めてないが、純粋にいい走りは求めてしまう。走ることを通して気持ちいいと感じられる瞬間は、幸せだなと思うからだ。
昨年から、趣味で短距離を始めたが、速さだけを求めて始めたわけではない。短距離をやることで、体の感覚に新しいものが増える。新しい感覚を求めていたり、常に感覚を磨ける場所が必要と感じているから。
走ることを考えさせられたきっかけは、荒木教授(徳島大学名誉教授)と子どもの走り方について話した時。
子どもが速く走りたい時は、勝って優越感に浸りたいから、親に褒められたいから、と言う話にハッとした。
子どもが12歳までは、横ぶれで走ったり、腕を横に振って走るのをよく見る。速く走らせようとそれを修正しては、子どもが走ることを通して体の使い方(体の軸を感じること)を学んでる過程を大人が奪うことになると聞いて、初めは衝撃をうけた。しかし、その方針である陸上クラブに魅力を感じた。
私のやるべき事について考えさせられる。子どもを速くさせるのではなく、本来の走る楽しさ、喜びを感じてもらいたいと改めて思った。
なぜなら、速く走ることを早く(小学生)から求めたら、それだけ早く絶望感を感じてしまい、走ることが嫌いになるのでは?と言う自分の経験からの恐れもあるからだ。
陸上クラブの存在さえも自分に問い直す機会になった。
中学生高校生以上になれば、走る喜びを覚えた子どもが、速くなるために頑張ることも素晴らしいと思うし、小学校の時に走る喜びを感じ、体の軸を感じた子どもの方が速くなるのではないか?とも思う。自分の経験が全て正しい訳ではないが、小学生の時に走るフォームについて誰かに何か言われた覚えもなく、特別な練習をした覚えもなく走り回って遊んでいただけだというのもある。
子ども(特に小学生)には、速さでなく、走る喜び・楽しさを感じてもらう活動ができたらいいなと感じた。
答えをすぐに出すのは難しいけど、自分は今の仕事で何をするべきか、何が子どもにとって良いのかを考える機会をいただき良かったと思う。
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