想いを人から人へ
6月が終わる。
私はなんだかんだでじめっぽくて雨が降る6月が嫌いではない。
雨が好きなわけでも、湿気が好きなわけでもないが、それを好んで泣き叫ぶカエルの声や、我が家の網戸にやってくるヤモリを見るのが好きだ。
そして何よりもきっと、生まれてきたことを祝われる6月が好きなのだ。
何歳になっても誕生日は嬉しい。
産んでくれた両親が祝われるべきなのに、生まれてきた私がお祝いをされる。
学生時代の話、私は抱え切れないほどのプレゼントを持ってうちに帰った。
それを見て父は「こんなにもたくさんの人に祝われる子に育ってくれて嬉しい」そんなことを言われた。
それから私は誕生日には、産んでくれた感謝とたくさんの人に祝われた自慢話をするようになった。
親は子の幸せを願うのだろう。
そして子も親の幸せを願うようになるのだろう。
だから、私は幸せになりたい。
母は「私がお祝いしなくてもたくさんお祝いされてるもんね」とどこか寂しそうに話す。
母は、お祝いされている私を見る事よりも、自分が子を祝うことで幸せにしたいようであった。
私は幸せものだ。
母は私の自慢話に勝るように、好きなものを作ってくれて美味しいで噂のケーキを買ってきてくれた。
嬉しそうにケーキのプレゼンをする。〇〇さんがこのケーキは他のとは違って…でも作りたてはすぐに売り切れるから…と。勢いよく。
ありがとう
ありがとうお母さんって心の中で思いながら微笑む。
家族からの愛をたくさん受け取って育ってきたからきっと、他人からもたくさん受け取れるんだと思う。
素直に、自然と受け取ることができる。
もちろん素直に大いに喜んで、感謝も忘れない。
次の6月がくるまでの1年間は与える側に…
たくさんの人からの想いのバトンを受け取り走り出す。