幼いころの心のまなざし
☆記憶のはじまりを目指して
(計約6,100字)
かつて、大人は、誰もがみんな子どもだった。でもそのことを覚えている大人は、ほとんどいない。
『星の王子さま』の有名な献辞にもあるとおり、ひとたび大人になってしまうと大人は、自分が子どもだったことなど、すっかり忘れ去ってしまいます。なぜでしょう? あまりにも当たり前のことすぎて、考えるに値しないというのがいちばんの理由かもしれません。
それから「発達」や「成長」という概念も、一役買っていそうです。身体の大きさや運動能力といったことにかぎらず、心のあり方も物の見方も何もかも、赤ちゃんよりは園児のほうが、小学校3年生よりは6年生のほうが、つまりは「きのう」より「あした」のほうが、より優れているべきだし実際そうであるにちがいないというお馴染みの考え方で、折れ線グラフにすれば「右肩上がり」で表されます。
未完成の子どもから、完成された大人へ。だとすれば、立派な「いま」の「私」が、無力だった「かつて」の「私」を振り返ってみたところで、たしかに何ひとつ得るものはありません。
それでもためしに、こうした「右肩上がり」のグラフのはじまりのほうを目指して、どんどん振り返っていったとします。そのとき「いま」の「私」は、「かつて」の「私」を何処まで遡っていけるでしょう。中学生のころの「私」へ、小学生のころの「私」へ、保育園や幼稚園児のころの「私」へ、そしてもっと遠くまで、記憶のはじまりの「私」へと…。
☆幼年期健忘という深い闇
幼いころの「私」が、いったいどんなようすだったのか、それは大人となった現在の「私」でも、はっきりと知ることができます。写真であれ動画であれ、「いま」に残る「かつて」の記録を眺めてみればよいのですから。小学校の運動会も幼稚園でのお遊戯も、それにはじめてできたハイハイも、そこに映しだされているのはほかの誰でもない、この「私」にちがいありません。
ところが、そういった写真なり動画なりで「私」の外観をいくら仔細に見つめていても、そこに映る幼い「私」が当時どんなことを思っていたのか、あるいは世界がどんなふうに見えていたかといった具合に、そこにすこしでも内面がからんでくると、たちまち曖昧模糊としてきます。
「かつて」の「私」はこんなことを思っていたんだ、こんなふうに見えていたんだということを、「いま」の「私」がはっきりと覚えているという人も、なかにはもちろんいるでしょう。でも、ちょっといじわるな見方をするならば、それが正真正銘「ほんもの」の「私」の記憶であると、その人は完全に言い切ることができるでしょうか?
もしかするとそれは幼かった当時の「私」自身の記憶ではなく、もう少し大きくなってから周囲の大人たちから聞かされた話をもとにつくられた、「にせもの」の記憶という可能性だってあるのです。こうした疑惑は、過去へと遡るほどに強まってしまいます。そして記憶が「ほんもの」であることを証明する手だては、残念ながら容易には見つかりません。
この世界に生まれでてからしばらくの間の記憶のほとんどが、それが「私」自身の記憶であるにもかかわらず、すっぽりと闇のなかに包みこまれてしまっているということの不思議。どうやら「幼年期健忘」と呼ばれるこのような現象が、「私」のなかに深い断絶をつくりだし、子どもだった「かつて」を振り返るということを、よりいっそう困難にしてしまっているようです。
おなじひとりの「私」のなかで、ぱったり途切れてしまっている「かつて」と「いま」。そのことを余すところなく伝えてくれるこの文章が書かれたのは何と西暦400年ごろ、日本史の年表では、邪馬台国と大化の改新の間あたりに位置します。つまり「私」のなかの断絶は、これほどの大昔から人々に意識され、ここまで脈々と受け継がれてきたということになるのです。
☆子どもは子どもだったころ
かつて、大人は、誰もがみんな子どもだった。このとびきりの真実に、あらためて目を向けることから始めたここまでの議論で、「私」のなかの「かつて」と「いま」を遮っている断絶が、想像以上に根深く強固なものであることがはっきりとしてきました。
でも、だからといって大昔の賢者の言葉を信じて安直に、「痕跡さえも想い出さない時代」など「いま」の「私」にまったくかかわりがないと断じることには、何となくためらいを覚えてしまいます。幼年時代とはほんとうに、「私」のなかで完全に失われた無知で無力で無意味な時代に過ぎないと、ほんとうに言い切ってしまって良いのでしょうか。
これは、東西分断時代のドイツ・ベルリンの空の上を軽やかに舞いながら、地上であくせくと生きる人々の心の声に耳を傾け続ける二人(?)の天使が主役を務める映画のモチーフとして、作中幾度も口ずさまれることとなる童謡の一部です。天使とはいっても、一般的にイメージされるそれとはちがって二人(?)とも、寂しくなり始めた髪の毛を後ろで束ね、古ぼけた厚手のコートを羽織った冴えない中年男性の姿をしているのだけれど。
それはさておき、映画の共同脚本にも名を連ねる作家のペーター・ハントケがつくったこの童謡には、「子どもは子どもだったころいつも不思議だった」不思議として、この「世界」があるということや、この「私」がいるということにたいする新鮮な驚きが、混じり気なしの素直さで表現されているように映ります。ただ、これらの「?」を、もういちど吟味し直してみてください。素朴な佇まいの奥底に、哲学的な風格さえ漂わせた深淵が、恐ろしい口を広げているように感じられはしませんか?
「存在」の根源にもかかわるこうした「?」の数々が、この世にやってきてまだ間もない「私」たちの心のなかで何処からともなくムクムクと、それこそ魔法みたいに沸きあがってきていたのだとしたら? それでもやはり幼年時代は、無知で無力で無意味な時代に過ぎないのでしょうか?
☆置き忘れてきた宝もの
アウグスティヌスの時代から1500年以上の時が過ぎ、心理学や精神医学が飛躍的に進んだ現在において、幼年時代に刻まれた「痕跡」が、のちの人格形成にとてつもない影響を及ぼし得るのだということは、広く認められているところです。
だからこそ、想い出せない自身の「痕跡」のことなどさておいて、「わが子」の幼年期の大切さということにかんしては、親となった大人たちのあいだで絶えず重きが置かれてきたのでしょう。楽器や外国語やスポーツは一日でも早く始めさせるべきだとか、一流企業に就職するには少しでも偏差値の高い私立に通わせたほうがよいだとか。
それゆえ今日も多くの子どもたちが、全力疾走を強いられてしまっています。「発達」という名の「右肩上がり」をできるだけ速く駆け抜けて、すこしでも高い地点で「大人」という名のゴールテープを切るために。「失われた30年」を経た日本では人口も経済も、とうに「右肩上がり」ではなくなってしまっているにもかかわらず、高度成長期と同等もしくはそれ以上の苛烈さで。
ただ、そんな子どもたちにしても、ひとりぼんやり過ごすことのできる時の流れのあわいでは、大人たちにはけっして悟られぬよう、例の哲学的な「?」に自然とあれこれ想いを巡らせているかもしれません。
そして私たち大人もまた、「子どもは子どもだったころ」にはきっと、同じように想いを巡らせていたかもしれないのです。「大人」という名のゴールテープを切ったいまとなっては、この「世界」が存在しているということにも、「私」が「私」であるということにもすっかり慣れて、場合によっては、げんなり飽きているのだとしても。
ところで、そのような大人たちはゴールテープを切る前に、「子どもは子どもだったころいつも不思議だった」不思議を、ひとつでも解き明かすことができたのでしょうか?
「右肩上がり」を全力で駆け抜ける過程で私たちは、たくさんの知識や経験を身につけることができました。でもそれとは引き換えに、社会通念やら世間体やら固定観念やら先入観やらといった余分なものまでずいぶん背負い込んでしまったのでは? それだけならまだしも、大切な宝もののようななにかを、何処かに置き忘れてきたのだとしたら?
かつて、心は、もっと素敵に感じることができていたかも。まなざしは、もっと素敵に世界を見つめることができていたかも。
☆闇に浮かぶ薔薇の蕾
だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、「子ども映画で考える」という題のもとでこれから紡いでいく一連の文章は、「いま大人である私」が「かつて子どもだった私」のなかへと宝探しの旅に繰りだそうという、ささやかな試みです。
「大人」という名のゴールテープを切って以降もそのまま続くかのような「右肩上がり」に、ちょっとだけ足を休めることのできる「踊り場」をこしらえて、「子どもは子どもだったころいつも不思議だった」不思議にいまいちど目を凝らし、「幼年期健忘」の闇に向かってさまよい歩いてみようというわけです。
私たちはいま、何が「ほんもの」で何が「にせもの」か容易には見分けがつかない情報で溢れかえった世界に生きています。虚実の荒波に揉まれ、たとえ進むべき方向を見失ってしまっても、自分が何処からやってきたのかということさえわかっていれば、それは心の碇となって、大いなる安寧をもたらしてくれるように思うのです。
それに、もしかしたら旅をしている間に私たちは、それぞれの「薔薇の蕾」を見つけだすことができるかもしれません。「薔薇の蕾」とはもちろん、若きオーソン・ウェルズが監督・脚本・主演を務めた1941年の歴史的名作『市民ケーン』のラストの場面で、すべてを手に入れすべてを失った主人公の脳裏に去来する、失われた幼年時代の幸福の象徴です。
ただし闇には危険が付きもの、行く手を照らしてくれる「ともし火」が欠かせません。そんなとき、最良のお供となってくれるのが映画です。19世紀末に幕を開けた映画の長い歴史のなかで、子どもを主役に、あるいは幼年時代を主題に据えた作品は、それこそ星の数ほど存在します。
それだけでなく、映画を観るという行為自体が、深い眠りのなかでまなざされる夢や、あるいは来し方を懐かしむ追憶の体験と、構造的にとてもよく似ているのです。映画館では誰もが真っ暗闇のなかにひとり身を置き、後ろから放たれる光が結ぶイメージに、我を忘れてしばし没入することになるわけですから。
夢や追憶によく似た「まどろみ」に包まれながら、スクリーンに映しだされる子どもの笑顔につられてつい笑ってしまうのは、もしかすると、心に「いま」も息づく「かつて」の「私」かもしれません。もちろん、涙につられてつい泣いてしまうのも。
ところで映画『ベルリン・天使の詩』では途中、二人(?)の天使のうちの一人(?)が人間になることを決意します。サーカスの空中ブランコ乗りの女性に、どうしようもなく惹かれてしまったというのがいちばんの理由です。
不老不死の軽やかな霊的世界から、生老病死に縁どられた生々しい人間世界へと降りたった元天使(=堕天使)は、目に飛びこんでくる鮮やかな色彩や、口のなかに広がるコーヒーの苦味、かじかんだ手を擦りあわせる感触の得も言われぬ心地よさに、驚きと喜びを抑えることができません。そして例の童謡をご機嫌に口ずさみながら、思わずこう付け加えてしまいます。
子どもは子どもだったころ…いまだってそうだ!
ちなみにこの映画のエンドロールの終わりには、「すべてのかつての天使 とくに安二郎、フランソワ、アンドレイにささぐ」というメッセージが流れます。これはもちろん、ヴェンダース監督が敬愛してやまない世界的巨匠たち、すなわち小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーを指すのですが、大人に考える素材を提供してくれる素晴らしい「子ども映画」を、三者ともにたっぷりと遺してくれています(そのうちのいくつかには追って触れる予定です)。
☆長い序章のおわりに
「子ども映画で考える」と題した一連の文章が、この先なにを目指して紡がれていくのかは、これでひととおりご理解いただけたかと思います。
ここからいよいよ宝探しの旅のはじまりとなるわけですが、「子どもは子どもだったころいつも不思議だった」不思議はあまりに奥深く広大です。そこで全体を例の童謡に即して「自己」「探求」「虚実」「無垢」「永遠」という5つのテーマにまずは分け、さらに個々のテーマを3つに細分化した全5章×各3節の計15篇構成のもと、選りすぐりの映画はもちろん、ときには文学作品なども道を照らす「ともし火」として掲げ、歩みを進めていきたいと思います。
映画のなかの子どもの情景を呼び水に、「かつて」の自分とあらためて向き合うことで、凝り固まった大人たちの心にすこしでも、しなやかなさを取り戻すことができたなら。そしてまた、過酷極まりない人間世界へと舞い降りてしまった子どもたちと、すこしでもまなざしを分かち合うことができたなら。それではいざ、宝探しの旅に繰りだすといたしましょう。
*一連の文章は、拙著『20世紀 映画のなかの子どもの情景』(2004年、愛育社)を基に、その理念や枠組を踏襲しつつ、その続篇である『大人のための子ども映画会』(2007年、愛育社)の要素をも加味したり、2008年以降に公開された映画を取り込んだりと、大々的な加筆修正を施したものです。
*最初の書籍の刊行から20年もの月日が過ぎるなか、子どもたちを取り巻く状況は、いじめ、虐待、貧困、災害、そして戦争と、控えめに言っても日に日に苛烈さを増し続けているように映ります。そのように感じていながらも、手をこまねいているよりほかない忸怩たる思いが日ごと募って、このたびの改稿および公開へと至った次第です。