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自作自演の陰謀論の恐ろしさ。大切なのは真実の愛、神を信じる心

現在のTwitterXの支配、これは徹底した言論の自由を再現したものであり、決して差別主義を増長するために行われている事ではない。イーロンマスクは元々バイデン支持だったが、行き過ぎた左翼思想、民主主義側の政治論での振り切りが気に入らなかった。

そのバランスを自分なりに正すためにTwitterを買収し左右のバランスを保とうとしていた。しかし利用者の多くはそれを勘違いし、過激なナショナリズム、ポリュリズム、陰謀論でのレッテルが横行した、それが現在のTwitterXの現状である。

民主主義とは我々が考え決められる主義、イーロンマスクは建設的な議論以外を好まない、批判でも指摘でも、そこにしっかりとした意見と展望が無ければまともに相手をすることはない。批判や罵詈雑言、憎しみや揶揄、見下しに差別、排他主義に排外主義、ナチズム、ファシズム、アンチファシズム、それらの一方的な封じ込めを共産主義であると彼は認識している。

イーロン・マスクはPaypal創業者ピーター・アンドレアス・ティールと言う人物と友人関係にあり、テスラも含めそれらのグループを指してペイパルマフィアと呼ばれている。

やはりその根底にあるのはキリスト教保守となる原理主義、福音派、プロテスタント思想であり、根っこの部分には聖書に書かれている内容を履き違えた偏見的な思想が影響している。そのプロテスタントの中に聖書の黙示録を自作自演しようとする者がいる、ドナルド・トランプもその1人でありハルマゲドンを実現したいプロテスタントのシオニストになる。

トランプはロスチャイルドや他ユダヤ系資本家、チャイニーズフリーメイソン系の資本家、統一教会やサンクチュアリ教会などのカルト宗教にも資金面や政治的な面でも支えられてきた。イスラエルのネタニヤフとは友人関係にあり、だからイスラエルをエルサレムの首都とし、その地域の統一を望む。


全てはグノーシス主義へと繋がり、その根底にあるのがキリスト教とユダヤ教に入り込んだ悪魔崇拝思想。神に反発するので、その教え、聖書の中にある神学とは全く逆の発想、主張を続けてきた新世界秩序の実現、世界統一思想の革命家である。そのDの意志を受け継ぐのがフリーメイソン&イルミナティ、それが光と闇の勢力であり、3つの戦争を得て実現するのがニューエイジ、神の支配を終わらせる新しい世界秩序になる。



ここまでの話で、聖書と陰謀論の本当の恐ろしさに気がついた人はいるだろうか?

それに気がつけた人は幸い、自分の書く内容を見つけられて良かった、本当の事に気がつく事ができる。そして今後も、神を信じることが何よりも大事な事だったと思い知らされることになる。



実際この光と闇による最終戦争ハルマゲドンは、フリーメイソン光&イルミナティ闇による自作自演のように思えるかもしれない、実際に世界を支配しようとしている人間、シオニスト達は自作自演の陰謀論によって、そう世の中を動かしてきた。

しかし聖書をよく解っている人になら、これが本当に恐ろしい現実だと言う事が理解できると思う。自分が今まで信じてきたことすら愚かな事だったと気がつくかもしれない。


よく聖書に書かれてきた事を思い出してみてほしい。世に広まっている黙示録、それだけでも知っていたなら全ての真実を読み解く事ができる。それと同時に、なんて人間とは小さな箱庭に生きる、井の中の蛙だったのか、自分自身で自覚することができる。

神は何もかもお見通しだった、アダムとイブの頃からずっと我々を見守り続けた。神は沈黙していたが、天使を介して我々人類に、この善悪の知恵による支配、その終わらない左右の争いのウロボロスから抜け出せるヒントを聖書のようなもので残してくれた。



それが神の元へ帰する道、神道を歩くための道標だった。ユダヤ教では契約の箱、日本には三種の神器の教えが残された、それがこの世の真理を表すものであると人々は気がつかない。それそのものが三位一体の法則、神の秩序、神そのものであると気がつけない。



沈黙の天秤13♎33

これは始まりから終わり、キリストが言ったアルファでありオメガ、三位一体の神そのものを表した言葉。13の始まりとは、キリストが12人の弟子と共に旅立つ始まりとして、33はキリストが処刑され、3日後に復活した奇跡の始まりを表す数字でもある。

この神の全てとしてある例えとして、自分はこのロゴと、沈黙の天秤と言う言葉を使ってきた。しかしそれを解らない人達が、いつまでも沈黙しない天秤、喋り続けるうるさい沈黙の天秤と揶揄をする。

自分は始まりの13であるので、沈黙はしない。始まりは言葉から、だから自分は言葉を尽くす預言者。

沈黙の天秤、33の数字を超えた時、わたしは神の一部となる。


しかし自分は誰にも崇拝させない、崇拝しないし教祖にはならない。もし自分がそうなれば自ら自決し地獄へと向かう覚悟を持っている。自分にとっては教祖となることそのものが、それだけの罪となる。だから誰にも崇拝などさせない、自分を拝むぐらいなら、人間を拝むぐらいなら神を心の底から信じ愛せと強く言う。

神の沈黙は愛である、その心の中にある天秤、キラキラと光る無限なる愛が溢れる美しき聖杯、それが神そのものであり、自分はそれをキリストに教わった。

あの時、どれ程の幸福感に包まれたか、どれほど泣きじゃくり自分の愚かさを思い知り悔い改めたか。あれは言葉だけで表現ができない、真実だった、妄想でも何でもない、心の問題でも病気でもない。

『ありがとう、感謝します、ありがとう…、こんなに、こんなことが、これほどのことが、本当にあるなんて、自分にこんな…』

凄まじい愛の暖かさ、温もりの中で自分は幸福感に包まれ泣きじゃくった。今もそれを思い出せば涙が自然に流れる。

天を仰いだ、太陽に向かって。祈った、形やしきたりなど関係なく、自分なりに、太陽に向かって祈ってた。それが、自分が経験した33日間の断食瞑想をしている中で起きた本当の奇跡だった。声が聞こえた、キリストらしき者による優しい声が自分の頭の中で聞こえた。『それが愛であり、聖杯である』

そう聞こえた。その後に、覚りとは何かを釈迦らしき者に教わった。流れる川のように、ヤジロベェのように揺れながら、導かれるままに、その川の自由なる流れに合わせて、先に見える光へと進んで行く。心穏やかに、静寂に、偏らず真っ直ぐに、平穏に、安定させて、三位一体の法則に従い行きたい場所へ流れたらいいと、自分が目指す楽園『それがガンダーラ(楽園)』そう聞こえた、釈迦に覚りを、そう教わった。


最後に断食をやめた後の始めてのまともな食事をした時、ラーメンサラダを口にした時だった。なんて美味しいんだろう、なんて幸せなのか、そう思った。これほどまでに何かを食べる事に喜びを感じたことは今までなかった。

涙を流して幸福を感じながら、その生命の糧がこの身体の一部となってくれる感覚を全身で感じて、ひとくち、またひとくちと口へと運ぶたび、言葉では表せない喜びと幸福に包まれた。全身に凄まじいエネルギーが蓄えられた感覚を持ち、愛に包まれた感覚に似た何とも言えない恍惚感と気持ちよさに酔いしれた。しかしそれが欲望であると、サトゥルヌスに教わった。だから自分は饒舌なる欲望の力を使うことができる。

愛と覚りと欲望、その三位一体の例えはこの体験から得たもの。だから自分の話してきたことは全て神学であり、嘘偽りなき宇宙の法則であり紛れもない覚りとなる。

誰に信じてもらわなくてもいい、簡単に信じられるような話などしていない自覚を持って語っている。だから孤独を覚悟した、1人を覚悟した、世界中の生命、人々を愛するために、神を心の底から信じるために。



なぜ自分がこうなったのかは解らない、でもそうなる前、コロナやワクチン、その他差別、争い、左右で悪化する分断対立、ロシアとウクライナの戦争など、そういった事が自分の目にたくさん入ってきた。残酷な現実、苦しむ人々、失って行く自然や生命、全てに嘆き悲しみ、自分は自問自答した。



『自分の命をキリストのように、人々のために捧げる、もしも自分だったらそんな事できるだろうか…』そう考えてた。しかしどんなに考えても結論は『自分にはそんなことはできない、怖い、できない、死ぬのが怖い、嫌だ、痛いのは嫌だ、苦しみは嫌だ』そう結論が出る、犠牲になれないこの精神を恥じた、弱き自分の心を思い知らされた。

だから泣いた、胸が締めつけられて、泣いた。それからだった、2022年3月3日、あの時から、自分は変わった。不思議な感情を持った、凄まじい恋煩いのような不思議な、あり得ない感情がこの心を貫いた。


その時まるで雷に打たれたようだった。本当に心臓に矢が突き刺さったようだった、だから苦しんだ、胸を抑えて握り、床を這いずり引っかき回して、叩き、頭を打ち付けるほど、凄まじい苦しみだった、生まれてはじめて経験した不思議なもの、あんなのはあり得なかった。

『誰か、助けて、助けてくれ、苦しい、苦しい、辛い、俺はダメだ、こんなのたえられない、助けてくれ…』そう言っていた。


こんな話をすれば、本当に心を病んでると思われるかもしれない。でも自分の感覚としては、そんなことはない、今も何の問題もなく楽しく生きてるし、日々幸せを感じて生きている。辛いと思うこともないし、それほど世の中に不満を抱えてはいない。人間不振でもない、コミュニケーション的な不自由もないし、特定の思想主義に属してもいない、誰にも洗脳などされていない。


まだ自分が何を言ってるのか解らない人へ。

フリーメイソン&イルミナティによる自作自演だとしても、それそのものが神への反乱になっている、聖書に書かれている通りの預言が本当に実現している。

光と闇の戦いは、自作自演された人間同士の光と闇の争いではなく、闇に包まれたこの地球上のバビロンと、神、その使者、天使との争いになっている。

これが真実。








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