#3 恵大「建築をつくれる人ではなく、建築家になりたい」感性と根性で村をつくっていく野心家
今回のインタビューはこの方
恵大[部署:デザイン部 部長]
・北海道大学 建築4年
・大学院に進学予定
・船橋市生まれ
将来の夢は建築家。小1小2を上海で暮らし、その後東京、そして、函館ラサール学園に入学し、大学から札幌に住む。中学3年間は100人部屋であったり、携帯は持ち込み禁止。そんな経験も面白おかしく人と話し、コミュニティの幅を広げる武器になった。
--建築について教えてください
勉強しているのは建築の設計です。どういう建築が社会に貢献できるのか、どういう意義があるのか、ということ。そして、どういう形があって、どういう意味があるのかということを歴史と共に勉強していきます。
建築とは、古くから権力者であったりお金がある人に向けてしか作れない。それはお金がどうしてもかかる現状があるから。でも、「これで豊かな空間を…」「〇〇の生活を提供します」というプレゼンを聞いたとき、それって誰?豊かな暮らしとか暮らしやすさって、お金がないと手に入らないものって、社会としてどうなの?という疑問があります。例えば、団地が良いデザインで良い空間に再生したとしても、そこに住むのはまた資本がある人で、それが無い人の空間にはなり得ない。それは、デザインで解決できる問題だと考えていて、誰でもデザインに触れられる時代で建築家がハードルを落としたからこそ可能な社会を実現したいです。
--なりたい建築家のイメージを教えてください
関東の建築家のように依頼が入ってひとつの作品を作り上げ、そこの管理だけをして何年もそのままあることを望むよりは、もっと長いスパンで細やかに設計を続けていく、みたいなイメージです。例えば、そこに入る飲食店と一緒にその場所をデザインして、お店が撤退してまた別のお店が入るとなったときに、次はそこのお店と一緒にこの場所をつくっていくみたいな。他の建築家と折り合いをつけながら、もっと利用者側に近いところで地域に結びついてデザインをして、それが自分の慈善事業として終わるのではなく、職業として中間にいる人たちや利用者や発注者を繋ぐコミュニティもデザインできる、建築家とインテリアデザイナーの間みたいな存在。そういう職業を確立することが目標です。
--それは、公共施設と住宅のはざまのような空間ですか?
つくる物はその場によって違うと思うけれど、例えば北海道だと、中心にはビルが建って、郊外に行くと空き家とか空き倉庫とかテナントが入れそうな場所がたくさんある。そして、地方に行くとさらにそういうのがあって…となったときに、もっと利用者や周辺の住人やデザインする人との距離が近くなれると考えています。でもそれは、今まで色んな人がやってきた建築の方法をそのまま真似るだけでは不十分で、物をつくることはもちろん、どのように人と関わるのかも含めて、どうやったらいいか今はまだ分かりません。分からないから、今、動いています。活動しています。
--北海道のために、という思いがあってでしょうか?
それはもちろん!北海道が好きだから。北海道は限界集落がかなりあったりして、その場その場の風景とか生活とか文化とか、そういうものがあったということを何かしら認識できるカタチで残っていてほしい。でも、それらを文字面で読んだところで感情が湧きにくいし、体感しにくい。そこで文字よりも共感性をもてる媒体の一つが建築、残るのが建築。そして重要なのが残し方です。きれいな建築、かっこいい建築は形として凄かったり技術として凄かったりするのだけれど、そこで生きる人のリアリティや人がそこで何をしていたという記録が見えなくて、未来も見えないことがあります。
--それは、大学に入ることで蓄積されていった思いですか?
一番初めに考え始めたのは小学校6年生のとき、東北地方の地震があって築1年の新しい、でもみんなの思い出の詰まった校舎が部分的に壊れました。当時、漠然とつくったものが壊れるといことを目の当たりにして、もったいない、怖い、思い出が詰まっているのに…、という思いが渦巻いていた光景が背景にはあります。その後、高校2年生のとき、安藤忠雄氏の自伝を読んで自らの足でがむしゃらに物をつくり続け自身のデザインを創り上げる『建築家』に憧れて大学に入学しましたが、勉強をしていく中で、お金や技術をどうしても優先している今の建築業界に疑問を持ち始め、自分が目指しているのは「何を」ではなく「どう」つくるかが考えられる建築家であることを思い返しました。
--自分がつくったものに居場所をおきたいですか?
居場所より、利用者がどうしてこういう空間にしたのかを第三者に説明できる距離感を大切にしたいです。ある程度の広さを担保したままひとつのコミュニティを深めていきたい。そのうえで、自分がつくった痕跡をどう残していくのか。素材でアピールしていくのか、作り方でアピールしていくべきなのか、そもそも自分がつくったという情報が共有されていくべきなのか分からないけれど、あくまで使う人のためであるならば、自分も前に出て自分がつくったということを言うべきだと思います。
--最後に、13LABOへの思いを聞かせてください
10年後、20年後にみんなで一緒に仕事ができたらいいと思っています。ラボメンは、可能性はあるけれどまだ社会的な実績は残せていない人たちや、能力はあるけれどそれがまだ社会に認めてもらえていない人たちだったりします。でも、この組織に所属していること自体ちょっと特殊で、考えている幅が違うし、やっていることも違う。そんな人たちが何かしらの実績が伴った状態でもう一度集まったら、楽しいことが出来る。だから、卒論や卒業制作に追われる中でここに来る理由は、自分の未来への投資と楽しいからです。
「13LABOは良い意味でゆるい場所。でも、いるのであれば一緒に面白いことやろうぜ!仲良くしようぜ!」
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編集者コメント
心の端切れを一枚一枚めくるように丁寧にお話してくださいました。軸がしっかりしているから言葉が色褪せていないことを羨ましく思います。私が対話してきた優れた人の多くは、すでに表現されていることの考察には長けていても、語りえないことにはほとんど無関心でした。しかし、どんな仕事もその底を支えているのは、正論で押しつぶされてきた語りえない何かではないでしょうか。誰かと関わり合うとき、理解があるとか優しいとかそういった心の高さではなく、いたわりでも物珍しさでもない、その人が何者であってもその人と向き合うときの垣根の低さをもっていたい。そうして、できることなら差別という言葉を知らないままで生きていたいものです。
誰も彼も、足を止めてゆっくりと考える時間がたくさんもてることを願っています。貴重な時間をありがとうございました!
(取材日:2020.11.27)