【量子力学1】物理系の状態と観測の記述方法【ミクロとマクロの間の切断】

ベルの不等式の破れによって,観測していない量については定まった値を持たないということがわかったので,まずは物理量を観測するということの意味をあらためて考えてみましょう.それから,量子力学ではどうやって系の状態を記述すれば良いのか考えましょう.


古典力学における状態と観測

古典力学でも,観測しなければ物理系がどんな性質を持っているかわからないことは普通です.しかしこれは単に観測する前は我々が無知なだけであって,物理量はあらかじめ決まった値を持っていて,観測によってそれを見るだけであると考えられてきました.古典力学では,原理的にはいくらでも正確に測定はできるものとしているので,改めて観測について取り上げるということは珍しいことかもしれませんが,ここで古典力学で物理量を観測するということを記述すると次のようになります.

我々の無知を反映して,確率分布で系の状態をわかっているところまで記述することにします.すると,「観測したい物理量$${A}$$について,実現値$${a}$$がある確率分布$${f_A(a)}$$で与えられる」とできます.我々の無知を反映して,確率分布で系の状態をわかっているところまで記述することにします.簡単のため,以降実現値が離散的な値で書けるものとします.

観測をすれば知識を得るので,確率分布は条件付き確率に変わります.観測で$${a_k}$$という値を得れば,状態は$${f_A(a\mid a_k)}$$という条件付き確率に変化し,状態は精細化します.もし,これ以上細かく分解できないところまで測定したとすると,$${f_A(a\mid a_k) = \delta_{a,a_k}}$$という確率分布になります.

観測によるこの変化は演算子$${P}$$によって記述できるとすれば,

$$
\begin{align*}
f_A(a\mid a_k) \propto P(a_k) f_A(a)
\end{align*}
$$


と形式的に書けます.「比例」としたのは全確率が$${1}$$になるように規格化する必要があるためです.
規格化定数まで書けば

$$
\begin{align*}
f_A(a\mid a_k) = \frac{P(a_k) f_A(a)}{f_A(a_k)}
\end{align*}
$$


となります.
観測は何度やっても結果は変わらないと思えば,この演算子は一度かけてしまえば何度かけても同じになってほしいので,

$$
\begin{align*}
P(a_k)^2 = P(a_k)
\end{align*}
$$

という冪等性が成り立ちます.冪等性を満たす演算子は射影演算子と呼ばれます.

物理量$${A}$$について知るということは,射影演算子によって状態から情報を取り出すということです.よって,物理量を射影演算子で記述することは自然です.射影演算子によって最も細かな情報を取り出せるとしたときの射影演算子を用いて,物理量を

$$
\begin{align*}
A = \sum_k a_k P(a_k)
\end{align*}
$$

と表すことにしましょう.この形をスペクトル分解と言います.すると物理量の測定による期待値が

$$
\begin{align*}
\langle A \rangle = \sum_a A f_A(a)
\end{align*}
$$

と書けることがわかります.
確かに,このときの射影演算子は

$$
\begin{align*}
P(a_k) f_A(a) = \delta_{a,a_k} f_A(a_k)
\end{align*}
$$

により定義されているので,
右辺の式は

$$
\begin{align*}
\sum_a A f_A(a) &= \sum_a \sum_{a_k} a_k P(a_k) f_A(a)\
&= \sum_a \sum_{a_k} a_k \delta_{a,a_k} f_A(a_k)\
&= \sum_a a f_A(a)
\end{align*}
$$

となり,物理量の期待値と一致します.

古典状態とその観測について定義を今一度まとめると,

状態: 物理量の実現値の確率分布
観測: 実現値について知識を得ること

と言えます.そして観測の表現方法として射影演算子を導入し,射影演算子により物理量を表現しました.

量子力学における状態と観測

観測をするというとき,私たちは何らかの測定器の目盛を読んだりということをします.この観察によって,目盛の指示が変わってしまうということはなく,この段階では既に測定は終わっているわけです.もちろん,眼で見た後に視神経から脳へ...のような機構をさらに考えることはできますが,その先で何が起ころうと,測定器の目盛の指示は変わらないという意味で,既に測定は終わっています.(観測と測定をふんわりと使い分けていることに注意.観測は確定した値を見ること,測定は物理系と計測器を相互作用させて値を転写すること,というイメージで使い分けています.測定 + 観察 = 観測,ということですね.)

量子力学では,本当に測定が終わっていない物理量を理論の枠組みに入れなければなりません.そして測定が終わっていない物理量については値を定めることができませんでした.とはいっても,量子力学においても,古典的な計測器で目盛を読むというような操作をしなければ系の情報を得ることはできないわけで,ミクロな状態とマクロな状態の間のどこかに切断がある,ということが重要です.この切断のことをハイゼンベルグカットと呼ぶことがあります.

原理的には,全ての系が(私たちも含めて)ミクロな粒子からなるはずで,それらが量子力学的に記述できると信じれば,どこにこの切断があるのでしょうか.ミクロな相互作用の無限の連鎖があるとすれば,マクロな切断があるとは思えない気がしてきます.「シュレディンガーの猫」という有名なたとえ話もあり,猫の生死の重ね合わせという経験的に明らかにおかしな状況を排除するにはどう考えたら良いのかもよくわからなくなってきます.すると自意識が状態を確定する,とか猫もそれを見る私も多世界に分岐していくのだとかいった微妙な解釈も生まれますが,これは物理的な問題を超えています.(この意味で,物理として完全な正解は得られていないというのがこの問題に対する公平な立場だと思います.ただし,計測器はミクロ系に比べて自由度が非常に大きいために,計測器との相互作用はミクロな相互作用とは実用上区別してよい,ということくらいは言えます.)ともかく,これ以上よくわからないことは深入りせずに次のように要請としてしまいます.(するとシュレディンガーの猫の生死は人間が観察をするのとは無関係に測定を終えていて,測定結果を記憶する装置として働いているだけだと単純化されるわけです.意識の問題などまで行かなければ量子力学はコンシステントにできています.)

要請1: ミクロとマクロの間の切断可能性
ミクロな状態とマクロな状態の間のどこかに切断があり,それ以降は古典的な確率分布に帰着できる.

(注:これは射影公理と呼ばれる要請を言い換えたものと言えます.)

さて,それではこの切断以前の,本当に測定の終わっていない状態を記述する方法を考えるのが量子力学の仕事です.

先に古典的な状態を観測することの表し方を射影演算子を使って記述しましたが,古典的な状態は射影演算子で一意に(一次元的に)分解して場合分けできるところに特徴があります.
ベルの不等式が破れた本質的な理由は,測定するまでは決まった実在の形を取っているわけではないというところですが,これを数学的に記述できるように言い換えを考える必要があります.このために,「量子状態は同じ状態にあっても射影演算子で分解する仕方が何通りもある」と考えます.この点については次回考えて行くことにしましょう.

今回のまとめ

量子力学は測定が終わっていない系の状態を記述することを考える.測定を行うというとき,どこかでマクロな測定器の状態に情報が転写され,それ以降は古典的な確率分布に帰着する.

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