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コップ一杯の水「とある英語講師#2」

コップ一杯の水「とある英語講師#1」の続きです…

色白でひ弱に見えるというだけで、男か女か見分けが付かない、といじられていた僕は、地元の中高一貫男子校に進学した。よく本を読むし、独特な視点から文章をまとめる力はあったようで国語は得意科目、社会科は歴史オタクだったので文系科目は優秀だった。算数と理科は及第点だったが、その2科目が群を抜いていた。父の研究室に在籍していた方が、広島市内の短大の講師をされており、家庭教師をしてくれ、おかげさまで中学受験は成功した。進学塾には通っていない。集団授業に交じると我が道を行くのが想定したのか家庭教師導入は息子のことを思う父の判断だった。僕は理系科目の面白さがまったくわからず、赤点ギリギリの成績で留年は免れた。進んだ学校は江戸時代からの藩校で質実剛健という学風だった。小学校時代は僕を「女みたいだ」と気持ち悪がらない、優しい、いささかお節介な女子達に囲まれ、それが当たり前のように過ごしていた僕にとって、男子校は当初、違和感だらけだった。
女性は保健室の先生、売店、学食のおばさんくらいだった。保健室の先生は30代前半で、タイトスカート姿が僕の目には眩しく映った。その前を通るたびに妙な期待感と罪悪感が入り混じった気持ちになった。

僕は1968年、昭和43年に生まれた。この時代というのは60年代以降、10年スパンで世界は抗う時代を繰り返してきたように思う。中国、フランス、イギリス、アメリカ…そして日本でもー戦争はそこに存在せず、そこからふと、生まれるカルチャーが生まれては消え、また何かが生まれる…といった激動の時代だったように思う。人々が抗ったのは体制や価値観、社会そのものだった。そんな激動の時代の中でサブカルチャーと向き合いながら僕は成長した。当時、テレビ朝日で放送されていた「必殺仕事人シリーズ」では“影の存在”を、松田優作主演の「探偵物語」からは““淋しさの中から優しさ”を知るようになる。僕が生まれた時代は、テレビも映画も芸術性のある社会性を突いた上質なものが多かった。テレビ的、スクリーン的に世間というオブザーバーがそれは“教育的視点”から見て、〇か×という判断基準で良し悪しを斬り捨て、×判定のものが実にストレートにアッパーカットを視聴者に喰らわす必殺技にも見えた。視聴者は、それを待っていました!と拍手喝采待ち望んでいたのではないか?とも思う。小学生の鼻垂れ小僧が、大人びてそう感じることが、人と比較されることなく、幸せだった。僕にとっての学校の所在地は「テレビ前」か「劇場内」あるいは「書店」で、所在地はどこでもよかった。そこで目にするものすべてが生きた教材だったのだ。小学校時代に「松田優作研究会」を発足、会員は発起人の僕しかいなかった。午後4時に広島テレビで放送される「探偵物語」を見るため、学校の宿題を昼休み中に終わらせ、帰宅後はひたすらドラマに没頭した。
「いやー今日のラビット服部、良かったなー」
「ナンシーとカオリって本当に良いコンビだなー」と独り言をつぶやきながら、ノートに感想を書き綴った。周囲に生意気と言われても気にしなかった。誰から何を言われようと自分は自分。それが僕のアイデンティティであり、密かな誇りだった。


三戸雅彦:翻訳編集者/ 英語講師
www.3doors.net

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