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日々のふりかえりを文章にしたら、エッセイなんじゃない?という仮説

最近は、スマホを開くと一旦noteを開くのが習慣化してきたみかんです。

以前、エッセイとは?を考える記事を書きました。

書いたからなのか、同じように「エッセイとは?」を考えている方のnoteを見かけて、読ませていただきました。

私よりよっぽど書いてきている方のnoteなので参考になりました。

そのうえで、この方の仰っているエッセイの定義を引用します。例え話がとても分かりやすかったです。

たとえば「美味しい物はメンタルに良いのかもしれない」という思考の結論だけでは、根拠がないので感動が薄い。

実際に自分のお気に入りのラーメン屋に行って、大好きなラーメンを食べて、ものすっごい幸福感に満ちて。
その上で「美味しい物はメンタルに良いのかもしれない」と言った方が、読んでいる人には感動が伝わりやすい。

事実だけではただの記録だし、思考だけでは求心力がない。
事実という肉体に、思考という血流を巡らす。そしてその二つのかけ合わせによって、読んだ人に感動(笑い、泣き、驚き、スリルなど)を与える。
それが、エッセイの主軸なのかもしれない。

エッセイの定義を考えてみる(アルロンさん)

つまり、事実の列挙だけや、事実から得た気付き・学びだけでは、エッセイではない。両方があってこそ、エッセイなのだということ。

なるほど!と同時にふりかえりと似ているものを感じました。

ふりかえりのフレームに従って、列挙してけば、もうエッセイの骨組みは出来上がるのではないか?そんなことを思ったのです。

ふりかえりとは?は色々な説明があると思いますが、私のいつものやり方では、

・何があったかを詳細に思い浮かべた上で
・それを続けたいのか、改善したいかを考え
・どうやって続けるか、どうやって改善するかを考える

という順序でやってます。

もしかしたら、それがエッセイの骨組みになるという感覚にピンと来てない方もいるかもしれないので、ちょっと今日の朝の話を例題に出して、骨組みを作ってみました。↓

事実)昨日の夜、布団の上でYouTubeを見てたら、つい時間が過ぎた。いつもは11時に寝ているのに、25時を回ってから寝た。
そして次の日の朝、いつもは7時に起きれるところを、8時過ぎに起きた。少し目が赤くて、眠気がある。

Potential)もっと早く寝れてたら、7時に起きれて、余裕を持ってnote書けたり、本読めたりした。また、朝眠くもないはず。
実際、7時に起きた時は、時間に追われる感覚はない。

Try)23時寝、7時起きを習慣化する。
そのために、22時にはスマホを見ないようにする。
そのために、21時前までは、存分にスマホを使う。

いつも仕事でやってる感じで

これで骨組みはできたはずです。

では、これをエッセイにしよう!!

と早速トライしてみました。

割と長いので、結論まで行きたい方は、ググッと下までスライドお願いします。


薄暗い部屋の中、煌々と光るスマホをぼんやりと見つめている。

流れているのは、YouTube。1本15分ほどの動画を、もう何回流しただろうか。

22時に、私のスマホではほとんどのアプリが使えなくなる。iPhoneではアプリを開いた時に「使うの?本当に?」というような画面が出る、利用制限設定をつけられるのだ。私自身が、23時に寝る為に以前より設定していた。

最初は、割と守れていた。あぁ、もう22時かとスマホを置いて、本を枕元に持ってきて読むこともあった。でも、今はそんな気分でもなかった。そして、そんな気分でない割合は、だんだんと増えてきていた。

「制限を無視」をクリックすることに、最早なんの躊躇も無い。

制限を無視してから、2,3時間は経っただろうか。母親が、扉から顔を出し、怪訝な顔をして、「もう一時だよ?」と声をかけてきた。

私はそれに、いつも通り声は出さずに手を振る。「気にしないで」と非言語アピールして、また画面に目を戻す。

しかし、やっぱり声をかけられると、先程よりは画面を見る目に力が入らなくなる。そうだ、もう1時なんだよ、と自分自身に語りかける声が生まれる。寝なきゃ、いけないよ。

私は、しばらくはそんな自分の声に抗うが、すぐに強い眠気を感じるようになる。そうして、動画途中のYouTubeの一時停止ボタンを押し、スマホを横に置いて目を閉じた。



カーテンの隙間から漏れる光と、家族の生活音で目が覚める。時刻はすでに8時過ぎだ。
今日は用事がある。あぁ、起きなければと身を捩る。

もちろん、すぐには起きれない。何度か寝返りを打ってから、まぁもうちょと寝てもいいかなぁ、なんて思う。

しかし、カーテンから盛れる光が明るく、そういえばお腹も空いて、膀胱の限界も感じる。身体の起きろというアラートに、渋々と言った感じで従い、カーテンを開けて、明るい光を浴びる。

そうすれば、少しは起床スイッチが入り、何とかベッドの上から重い足を落とし、なんとか立ち上がる。

顔を洗おうと1階に下がり、鏡を見れば、充血した瞳がこちらを見つめている。眠そうだ、とても。

いつも通り、冷蔵庫の中からヨーグルトを取りだし、粉でココアを作る。

もそもそと食べながら時計を見れば、時間はもう9時に近い。あれ、何時に家出るんだっけ。スマホで検索すると、10時15分には出ないと間に合わない。なんだか、思ったより時間がないなぁ。

本も、読めてない。noteも書けてない。noteを書いていたら、恐らく10時まではあっという間だ。

そして、多分書き終わらない。なぜなら、なんだか脳みそが働かないから。電車の中で、書くかぁ。

そうして考えてるうち、思う。

ああ、7時くらいに起きてたら、きっと本も読めて、noteも余裕で書けたんだろうなぁ。

昨日のあの、22時から25時の時間で、私は何を得ていたんだろうなぁ。

朝の1時間が増える方が、目の充血が取れる方が、頭がスッキリと起きれる方が、とても有意義な気がするのになぁ。

YouTubeも、見たいなら、朝見ればいいのになぁ…。

でも、何となく、夜夜更かししたくなる衝動は抑えられない気がする。癖づいてるんだと思う。夜更かしした時の、1日が終わらない感覚。ボーナスタイムのような感覚。

でも実際は、色々なものを代わりに差し出している。無料のボーナスタイムではなく、しっかりデメリットをお支払いして受けてる、延長サービスなのだ。

ああ、無料に見えるものほど、怖いものは無い。自覚しなければ。その事を。

とはいえ。ボーナスタイムもやっぱり欲しい。のんびりとした朝、スッキリした頭を差し出してでもしたい。まだ、ゼロにするなんてそんな気合いがないのだ。

そうだ。

週一、土曜日だけは、ボーナスタイムにしよう。土曜日なら、次の日の支障も少ない。

他の日は、22時にはスマホを置き、23時には寝て、7時に起きよう。週に1度の夜更かしより、週に6度の規則正しい生活の方が、習慣化されるはずだ。だから、週1度ボーナスタイムしてもいいはずだし、いずれ規則正しさに慣れたら、やりたくも無くなるはず。

よし、ハードルが下がった。

小さなステップから、進めていこう。好きなこと、やりたいことも諦めず。それでも、自分の未来に良い方向に、日々を改善していこう。きっとそれが、いつかふりかえった時、成長感に繋がるんだ。


締めが、壮大だけれど、エッセイに、なった、ような気も、します。どうでしょうね。

しかし、骨組みで書いた時から、結論が変わっています。
それも、個人的には良い方向に変わっています。

もしかしたら、ふりかえりの骨組みを書いた上で、エッセイを書けば、よりふりかえりの質が上がるのかもしれないですね。

そして、これだったらいくらでもネタは日々にある気がします。個人的大発見です。
今まで、なんとか頑張って書いていたエッセイのハードルが下がりました。

かける気がする、エッセイが。

また今度やってみます!!

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