適当にやるんじゃなく、力の入れ所を絞るという考え方
「与えられた仕事をきっちりこなす」
それを自分の1番の良さに思っている…いや、思っていた自分がいた。
少しだけ気が乗らなくても、貰った仕事を期待値以下で仕上げることは、”仕事ができない”象徴のようで嫌だった。
仕事が出来ない…というのは、特技と呼べる仕事がない自分にとって、アイデンティティの喪失に近いと思っていたから。
でも、今は違う。
状況は変わってなくて、特技という仕事は今も別にない。
けど、力を入れたいと思う仕事は出来た。働いて3年目、ようやく「やりたい仕事」が分かるようになってきたのだ。
当初は、”自我が出てきた”というマイナスともプラスとも取れない評価をしていた。
「やりたい仕事ができた」副作用として、「やりたくない仕事」もできたからだ。ある意味、「やりたい仕事」ではないものは全てやりたくないと思ってしまう時期も長くあった。
この時間を、やりたい仕事に充てられたらなぁって思ってたし、やりたくない仕事をしている自分が不幸に思えた。
「ビジョンが合う会社で働いたら、やりたくない仕事はゼロだ!」という思い込んで、つい最近まで行動もしてたくらいだ。
けど、そんなことは無い、といい意味で思うようになってきた。
やりたくない仕事はゼロという状態を目指してたけど、かなり高い目標を目指していたなと思ったのだ。
まずは小さく、すぐやれることからやる方が、良い。
かつ、やりたいが生まれたからやりたくないが生まれた…と思ってたけど、実はやりたくないが生まれたから、やりたいが生まれたのだとも言えると思った。
そう思えば、やりたくない、という気持ちだってすごく大事なものだ。これを無くすのは、良くない。
だからこそ、やりたくない仕事はあるものだと考えて、小さなやれる事を考えたいと思った。
そうして浮かんだのが、「やりたくない仕事は最低評価ラインで仕上げ、やりたい仕事にその分の力を割く」という方法だ。
そもそも、やりたくない仕事を全力で仕上げることには、様々なデメリットがある。
まず、全力を出すので、やりたくない仕事がどんどん舞い込んでくる可能性がある。
だって、頑張ってるから。
頑張ってたら、少しは成果も出てくるし、それならこっちもやってね、って新たな似た仕事が舞い込んでくるのはマジで自然の摂理である。
また、やりたくない仕事で全力を出すと、やりたい仕事に割ける元気がなくなってしまうこともある。
折角やりたい仕事があるのに、なんだか疲れててやれない…それが一番不幸は事だと思った。
でもそれも、「やりたい仕事に全力出せるような土台を作る」という大義名分のもと、やりたくない仕事の力を抜けば、解決するかもしれない。
力を抜くのは総じて悪いと思ってたけど、それでやりたい仕事の成果がめちゃ良くなるなら、社会、会社、自分にとって三方良しになるかもしれない。
まだ仮説に過ぎないけど、早速、明日から試してみようと思っている。
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