赤嶺真吾~頼れるシーサー~
「ラインをあげて、あの、積極的な守備に、選手たちを、させよ…」
「あーいったー!うぉあーーー!決まったああああ!決まった岡山終盤アディショナルタイム!…」
冷たい雨の降り頻るアルウィン、
アウェイ席から立ち昇る歓声と熱い湯気、
ゴール前で崩れ落ちる山雅の選手、
そして抱き合うファジの選手たち…。
その中心にいたのは、その年に加入したベテラン、赤嶺真吾でした。
そのシーズン中、得点という結果をなかなか残すことができない中でも、黒子として多大な貢献をしていた赤嶺がゴールでチームを救う(しかもロスタイム!)という展開には、当時生中継を見ることができず、NHKのデータ放送で結果を追っていた自分が絶叫して号泣するには十分すぎるものでした。(その後騒音の苦情が出たのは内緒)
(今でもこの動画を見ると涙が出ます)
-2016年1月7日-
心新たに迎えた新年の正月も明け、学校に一喜一憂し始めた日に彼はやってきました。
前年岩政・加地の加入で沸いていたところに、さらに実績をもつFWがやってきたのですから、そりゃあもう岡山はお祭り騒ぎです。
その頃、他チームの選手のことをあまり知らなかった自分も、代表歴もない(厳密にいうとなくはない)赤嶺のことは知っていました。
2012年の震災復興チャリティーマッチ。たまたまつけたテレビに映っていたのが赤嶺でした。その時ゴールを決めた赤嶺が、まさか数年後に岡山にやってくるとは、思いもよりませんでした。
しかし一方で、岡山に来た時の赤嶺はボロボロの状態でした。前年仙台からガンバへ移籍していましたが、ケガ&デビュー以来初のシーズン無得点という苦しい一年となり、杜の都で見せていた輝きに陰りがさしていました。
それでも一年目から、赤嶺はチームの軸の一人となりました。得点こそ4得点と振るいませんでしたが、ほぼ全試合となる41試合に出場。圧倒的な懐の深さでボールをおさめ、豊川や押谷といった裏取りのうまいストライカーたちのチャンスを創り出し、また、プレスの先鋒としてチームを背中で引っ張りました。赤嶺なくして豊川・押谷の量産は、そしてあの年のプレーオフ進出はなかったでしょう。
老獪なシーサー
赤嶺は渋く、また慕われる人間です。
プレーを一言で言い表すならば、”渋い”、でしょうか。赤嶺のプレーには相手を抑え込んだり、体を入れたりといった地味な技術がたくさん詰まっています。
そこまでずば抜けた身長ではありません(180㎝)が、相手との競り合いに強く、ヘディングがうまいのでゴール前で脅威となれる選手です。また、ゴールから離れた位置ではその懐の深さを活かし、ボールの収めどころにもなれます。
そして、試合中の赤嶺はアツい。36歳になった今でも気持ちを前面に出して闘っています。その形相は時に怒れるシーサーのようにも見えます。
しかしその一方で、ピッチ外での赤嶺はとても面倒見のいいチームの兄貴分です。赤嶺を慕う選手も多く、赤嶺会という選手間のグループもありました。そんなギャップも赤嶺の魅力です。
赤嶺をもう一度、J1へ
きっとそう遠くないうちに、ファジはJ1に昇格できます。それは間違いないでしょう。
しかし僕は、赤嶺と一緒に行きたい。赤嶺が引退するとき、岩政のように「昇格できなかった」という後悔を残してほしくない。
赤嶺自身、ファジを昇格させるという意気込みできた選手。そして、数少なくなった雨のプレーオフを経験した一人の選手です。年齢を考えても、残された時間はそう多くありません。
だからこそ、みんなにとっての夢を、悲願を、一緒に叶えたい。
あの時、あと一歩届かなかった夢を、赤嶺が見せてくれた希望を、一緒につかみたい。
いや、掴もう。
ファジを、そして赤嶺をJ1へ。
12月4日で止まった歩みの、その先へ。