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世界遺産になった縄文遺跡群を廻る旅 - 海を望むストーンサークル小牧野遺跡
青森県の縄文旅、今回は「小牧野遺跡」。
どこかミステリアスなストーンサークルに
少しピリッとした緊張感を覚えます。
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ストーンサークルは日本では一般的に「環状列石」と呼ばれる、大小の石を組み合わせた環状の遺跡。
直立した巨石が円陣状に並んだイギリスのストーンヘンジを初め、インドやシベリアなどで見られる先史時代の遺構です。
大規模な墓、あるいは人々が集まり祭祀をおこなった場所であったと考えられています。
日本では縄文時代後期に、北海道~東日本にかけて盛んに作られました。
ここ「小牧野遺跡」は、今から約4,000年前の「環状列石」で、竪穴住居や墓、貯蔵穴などを伴った、縄文人の生活全般が伺える遺跡として知られています。
有名な「三内丸山遺跡」から西方向の内陸約7.5㎞に位置し、「三内丸山遺跡」(今から約5,900年~4,200年前)が衰退した後の時期に作られました。
それでは、早速参りましょう。
青森市内を抜けて山道をクネクネと登った先の小高い丘、ここが「小牧野遺跡」です。
先ずは遺跡を紹介する「小牧野の森・どんぐりの家」で、出土した土器や石器を眺めながら遺跡に思い馳せることから始めます。
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愛称の由来にもなっているどんぐり型⁉です。
ここから先は丘いっぱいに広がる原っぱ。
心地よい空間がずっと先まで続いています。
さあ、さあ、思いっきり大地を感じて、歩いて。
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縄文時代は貴重な動物性タンパク質でした。
まだまだ、緩やかな丘が続きます。
原っぱの廻りは栗の林が囲みます。
栗の木は、もちろん食べて良し、硬い幹は竪穴住居作りに最適な材料で、この頃には既に人が管理する栗林があったそうです。
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縄文時代の野原を駆け廻っていたのでしょうね。
栗がいっぱい!
縄文人の常食と言えば「どんぐり」と言われていますが、どんぐりは灰汁を抜く手間暇が必要でした。その点栗はそんな必要がなく美味しくい食べられる…そんなことからも人気の食材であったようです。
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見えてきました!
ストーンサークル(環状列石)です。
この広場はもともとは斜面地でしたが、縄文人による大がかりな土木工事により平坦な広場となった造成地です。斜面の高い方の土を削り低い土地へ運び、全体が円形の平らな広場をつくり出しました。
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北側から望みます。
この「環状列跡」は内側から、
中央帯 直径約2.5m、
内帯 直径約29m、
外帯 直径約35mからなる3重の列石と、
一部が4重となる弧状列石(斜め右上、斜め左下)、
直線の列石(左)などで構成されています。
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並べられた大小の石は約2,900個。
その総重量はおよそ31t、一個あたりに換算すると平均11㎏もの石を、この台地の下にある「荒川」から運んできました。
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これらの石の9割が安山岩で、大量の石を一カ所でまかなうのは難しく、「荒川」の広範囲から採取されたと考えられています。
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石の置き方には法則が見られます。
楕円形の厚みのある石を「縦」に置き、その両側に平らな石を「横」に数個を重ねるように並べています。
このような「縦」と「横」に交互に列石されることは珍しく、「小牧野式配列(配石)」と呼ばれているそうです。
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中央の大きな石には、「馬頭観世音」「嘉永7年」と細い文字が彫り込まれています。
この周辺は江戸時代から馬の放牧地で、「小牧野」の地名もそこから由来しているそうです。
この石碑は、江戸時代の人がここの石を利用して、馬を供養するための碑を建てたようです。
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少し高いところから見ると、全体が楕円になっている列石の姿が良く分かります。
このような形になった理由には、周辺の景観や太陽の動きを意識して作られたことにあると考えられています。
いくつかの特殊な石の置き方から、海と山、冬至や夏至の日の出などの方向が浮かびあがってくるそうです。
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すぐ近くには「土壙墓」がいくつも見られ、住居や食料を保管しておく貯蔵穴なども周囲で確認されています。
墓には、このように土を掘って作った「土壙墓」の他に、土器を穴に埋めた「土器棺墓」などもありました。
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さあ、今度はあちらの方へ、とフクロウが誘ってくれます。
栗林の先は明るく開けている土地のようです。
なだらかな丘を下ってみましょう。
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土器に多様されたモチーフです。
海が見えます!
青森市内から続く陸奥湾がくっきりと。
ここは素晴らしいオーシャンビューのストーンサークルであったようです。
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丘の上の風光明媚な遺跡は、住居、墓、貯蔵穴などの生活のための施設と祈りの場が、「コンパクトにまとめられたムラ」であったことがわかります。
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「小牧野遺跡」のストーンサークルは、
海を眺め、太陽を崇み、皆で集まり祈る…
精神性を重んじた縄文人の心を垣間見れる、そんな平穏な場所でした。
最後にクネクネと山道を下った場所にある小牧野遺跡保護センター「縄文の学び舎・小牧野館」を少し覗きましょう。
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土器をはじめ多くの遺物が展示されていますが、
その中でちょっと珍しいの土器を発見!
「切断壺型土器」と呼ばれる上部に大きな割れ目があるこの土器は、粘土を積み上げ形を作り文様を付けたあとに、わざと上下に切り離してから焼かれた土器です。
亡くなった幼児などの遺骨を納めたと考えられています。
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土の中へ埋められたと思われます。
クマをはじめとする動物型の土製品も出土しています。
かわいくデフォルメされた「クマ型土製品」は、小牧野遺跡のマスコットキャラクターにもなっています。
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こちらは板状の胸部に、突き出した顔が特徴的な「土偶」です。
あまりはっきりしない顔の表情と、板状のシンプルな胴体。
この後の土偶の衰退に繋がっていくような気配を感じます。
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「小牧野遺跡」が形成される前の時代、ここからほど近い「三内丸山遺跡」では、沢山の人々の生活の営みや各地からの往来があり、大きな文化が育ったとされています。
そうした繁栄から静かなる精神文化を重んじる小さな社会へと、時代と共に移り変った姿が「小牧野遺跡」にあるように思えます。
謎の多いストーンサークルですが、精神世界に重きを置いたここでの生活は、私たちのこれからの生き方に取り入れたい「何か」があるように感じました。
縄文旅はまだまだ続きます。
次回は、是川石器時代遺跡です。
◆参考資料
世界遺産になった縄文遺跡 岡田康博(編) (株)同成社
縄文土器ガイドブック 井口直司(著) (株)新泉社
縄文の学び舎・小牧野館展示図録 小牧野遺跡保存活用協議会(発行)
最後までお読みいただき有難うございました。