埴輪と土偶、こんなところも違います
赤ちゃん、ちっちゃい!
古墳時代に作られた『乳飲み児を抱く埴輪』
茨城県のかつて存在していた大型の前方後円墳から出土しました。
赤ちゃんが母親の胸にしがみつき、左の乳房に吸いついているようです。
お母さんの右手の先は欠けていますが、赤ちゃんの下部をおさえていた痕跡があるそうです。
それにしても、お母さんと赤ちゃんのこのアンバランスさ‥どうしたことでしょうか?
奥の鏡越しに、お母さんの頭部の結われた髪が見え、細かい造作がされていることが分かります。ということは、埴輪作りが苦手であった、とか、子どものスケールを間違えた、ということではないように思われます。
一方、こちらは以前に紹介した縄文時代の『子を抱く土偶』。
赤ちゃんを両腕で抱えている「頭部の欠けた」母親と考えられる土偶です。
横座りをして、腕でしっかりと赤ちゃんを抱いている姿が印象的ですね。
埴輪と土偶、この母子の描写の違いは、どんなところからきているのでしょうか?
何かと比較されることの多い両者ですが、それぞれの特徴を確かめてみましょう。
▮作られた時代
「埴輪」古墳時代 の3世紀後半~6世紀末、古墳と共に作られるようになりました。
「土偶」縄文時代の今から約12000年前~2400年前。
▮何のため?
「埴輪」権力者の墓である古墳を守り、死者に寄り添う道具であったとされ、同時に生前の功績を示す役目もあったとされます。
「土偶」命の誕生や成長、豊穣祈願などの「祈りの道具」として、祭祀や儀式などで使われたと考えられています。
▮誰のため、誰が作った?
「埴輪」その古墳に眠る権力者のために、埴輪作りをする専門の職人が作ったと推測されます。
「土偶」縄文時代には身分の差がなかったと言われ、そこに生きる人々皆のために、土偶づくりが得意な人が作ったと考えられます。
このようなことから想像すると、
『乳飲み児を抱く埴輪』は亡くなった権力者への敬意をこめて、一方では仕事ととしての意識のもとで作られたのではないでしょうか。
故人にこのような赤ちゃんがいたのか、あるいは寂しくないようにと赤ちゃんを表現したのか…その理由は分かりませんが、埴輪に表現した赤ちゃんと作り手との間に距離が感じられるように思えます。
『子を抱く土偶』は集落全体で出産や子どもの成長を祈って、母親の愛情を表現することに注力した形のように見えてきます。
縄文時代において、生命の誕生と子どもの成長は、集落の存続に直接かかわる重要な問題であったと考えられています。
そのような違いが、2つの母子に表されているのではないでしょうか。
それぞれの社会や生活、精神世界が如実に表されていると考えられる埴輪と土偶。
似て非なるもの…と言えるようです。
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