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縄文時代のお墓の中を覗いてみると…
お盆を迎え、いつもは人影もまばらな近所のお寺には、お墓参りをする人がひっきりなしに訪れています。
今のように一般庶民がお墓を建てるようになったのは、江戸時代になってからと言われています。それまでは古代の古墳に見られるように、死者をお墓に埋葬するのは、支配者階級のごく僅か人だけでした。
では、その前の原始時代はどうであったのでしょうか。
縄文時代は、土に穴を掘って埋める土坑墓が一般的であったようですが、その穴の上に石を並べる配石墓、穴の中に石を立て並べる石組墓、さらには住居のすぐ近くの貝塚や貯蔵穴に埋葬されることもあったようです。
また箱式石棺と呼ばれる棺も各地で見つかっていることから、地域や時代によって様々な形があったようです。
そんな縄文時代、
お墓と深い関係のあった土偶がいました。
国宝 〝仮面の女神〟
お墓との関係とは…
平成12年(2,000年)、長野県茅野市の農地基盤整備事業に伴う発掘調査で、〝仮面の女神〟は数ある土坑の一つから発見されました。
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標高950mの丘陵地。
周辺は農地が広がる一帯です。
約4,000年前の縄文時代後期に作られた、
高さ34㎝、幅24㎝、重さ2.7㎏の大型の土偶です。
逆三角形の顔は仮面を被っていると言われています。
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堂々としたたのもしい姿。
渦巻文様とその廻りの文様が、
神秘的に感じられます。
横から見ると、
仮面を付けているのが良く分かりますね。
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発見時は体の左を下にした状態でした。
見出し画像は、発見時の写真です。
ちょうど横向きに寝ている感じですね。
横たわった仮面の女神、
その視線の先の土坑には、土器が転がっています。
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右足は故意に壊されたと考えられています。
土器は伏せた状態の浅鉢のようです。
何故、伏せた浅鉢?
煮炊きにも使い辛そうな浅鉢です。
周囲の土坑にも、それぞれに同じような伏せた浅鉢がありました。
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口縁に付けけられた突起の数は、
3個、4個、5個と種類があります。
実は、この浅鉢は死者の顔に被せられていたのです。
横たわったていた〝仮面の女神〟は、浅鉢で顔を覆われた死者の方向に顔を向けていたのです。
死者を見守るために添えられたという可能性が高いと考えられています。
縄文時代に葬られた遺体は膝を曲げた屈葬が多いようですが、現在のように脚を伸ばした状態の伸展葬もあったようです。そして、胸に石を抱えたり、このような浅鉢を顔に被せて埋葬されていたものがありました。
縄文時代のお墓には副葬品として、石皿や矢じりなど生活で使われたものや、腕輪や耳飾りなどのアクセサリーが、故人があの世に行っても困らないようにと入れられることもありました。
そのようなことを考えると、〝仮面の女神〟は副葬品と似たような意味があるようにも思えますが、浅鉢との関係を見るとそれとは少し違うようでもあります。
浅鉢と仮面の女神の関係
浅鉢の口縁の突起、
まるで土偶の顔の様に見えますね。
その下には〝仮面の女神〟にあるような文様が施されています。
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各地で見られる現象です。
この浅鉢は、単なる土器と言うより、むしろ土偶が付いた装飾付土器と言えるようにも思えます。
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やはり顔の表現やその下の文様が、
土偶を思わせます。
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頭上にあるクルクルした表現が、
土偶に感じられます。
土器に土偶のようなものが付いている表現があること、土器と〝仮面の女神〟の文様が似ていることも気になりますが、それ以上に注目したいのは、
土偶は仮面を被り
死者には浅鉢が被せられている
どちらも素顔を明かさないで、顔を覆うという共通点です。
顔を覆うという行為に、何か重要な意味があったのでは?と考えられます。
顔を覆うという行為は、精霊の神格が宿るなどとされ、様々な形・装飾された〝面〟を着ける祭礼が古来より世界各地で行われてきました。
日本の伝統芸能では、〝能面〟をつけて行われる「能」が思いだされますが、そこでは〝能面〟のことを「おもて」と言い、「おもてをつける」ことで変身・憑依し、こちらとあちらの異界とを繋ぐ役割などをするとされています。
土偶と死者が共に顔を覆う
果たして、縄文人は何を思ってこのような行為をしたのでしょうか。
死後の世界、なにか目に見えない霊的なものとの交わり…縄文人の精神世界を表したのが、この顔を覆うということにあるようですが、残念ながら私達には知るすべがありません。
謎だらけの縄文時代のお墓は、私たちの祖先のお墓でもあります。
このお盆の時期に少しだけ思いを馳せて、縄文の謎を考えてみようと思います。
*長野県立博物館「土偶展」、茅野市尖石縄文考古館「展示図録」参照
*写真はすべて尖石縄文考古館にて。
最後までお読みいただきありがとうございました。