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壊される宿命の私たち|土偶のおはなし
「これもあれも壊れている」
博物館で縄文時代の土偶を見ていると、そう思うことが多いですよね。
縄文時代の祈りの道具として作られた土偶、その多くが壊れた状態で発見されます。
顔面を大きく割られたり、脚や腕、胸部、臀部といったように部分ごとになってしまったり、破砕されて元は何であったか分からないものなど、その状態は様々です。
それは何千年もの間、土の中に埋まっていたから?それとも、掘り起こす時に壊れてしまった?あるいは何かほかに理由があるの…?
今回はそんなバラバラになった土偶のおはなしです。
大量の壊れた土偶が見つかる遺跡
最初に土偶の出土の状況を見てみましょう。
全国から出土した土偶の数は、およそ2万点と言われています。
縄文遺跡の数は9.5万箇所程なので、いかに土偶が出土する確率が少ないかがわかります。
その土偶の出土する遺跡の殆どは東日本にあり、東北、中部高地(長野県、山梨県)、千葉県の特定の遺跡からは大量に見つかるなど、かなりの偏りが見られます。
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土偶の出土数が1番多いのは、世界遺産にもなっている青森県の三内丸山遺跡です。縄文時代前期~中期の1.700年間に作られた2,000点以上の土偶が見つかっています。
そのうち、欠けたところのない土偶は僅か30点ほどしかありません。
![](https://assets.st-note.com/img/1680143777687-hVyxLmgsHB.png?width=1200)
次に多いのが、山梨県の釈迦堂遺跡の縄文時代中期を中心に作られた1,126点、そのうち全身が確認できるものは僅かにこの土偶だけです。それも左腕は欠けてしまっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1680162484243-dE9r1GP5vG.jpg?width=1200)
1つも土偶が出土しない遺跡が多くある一方で、こんなに大量に出土している遺跡もあるのです。
そして大量に出土した土偶は、あまり手間暇かけて作られていない土偶が多いことがわかります。それらは例外なく、どこかが壊れているという特徴を持っているのです。
壊れた欠片が数m以上も離れた場所から発見されることも多く、それらの破片を全て拾い集めても元の形に戻せることは殆どありません。
人の手によって故意に、それも形を戻すことができないように壊されているようにも思えます。
大量に出土する理由の1つの考えとしては、土偶を作ることに力を入れていたムラであった、言わば土偶の産地であったということも考えられるようですが、はっきりとは分かっていません。
大量の壊れた土偶…分からないことばかりですが、土偶が壊されて破棄された、ということは確かなようです。
壊されるために作られた?
大量の壊れた土偶、
実は〝最初から壊されるために作られていたのではないか〟と考えられています。
その根拠となると言われている仮説が2つあります。
仮説1 インドネシア・セラム島に伝わる神話をもとにした「ハイヌヴェレ型神話」です。
ココヤシの花から生まれた少女ハイヌヴェレは、様々な宝物を大便として排出することができるという能力がありました。しかしそれを気味悪がった村人が彼女を生き埋めにして殺してしまいました。
その後、彼女の父親が遺体を掘り起こしバラバラにしあちらこちらに埋めると、その死体からさまざまな種類の芽が発生して、村に豊作をもたらしました。
ゾクゾクっとする怖い神話ですが…
〝殺された死体から作物が生まれる〟このような「食物神話説」は、東南アジアだけでなく世界各地にあるようです。
日本では古事記の〝オオゲツヒメという女神が殺され、死体のいろいろな部分から五穀などが発生した〟という穀物起源神話が知られるところです。
仮説2 土偶はお祓いの人形のような役割を果たしたという「身代わり説」です。
病気やケガなどの完治を願って、土偶の患部を代わりに壊したというものです。
人形には古くから、人の厄を移し身代わりとして川に流したり、身近な場所から遠ざけたということが行われてきました。
役目を果たした土偶の形だった?
この他にも〝土器の完成を祈るため〟という説などもありますが、どれも決め手となるものはありません。
住居跡や貝塚などに大量に破棄されていた土偶ですが、この破棄と言う言葉からは〝不要なものを捨てた〟と私たちは理解すると思います。
でも当時の人々には「自然からいただいたものが役目を終え、それをまた自然に返す」という、自然への感謝をこめた祈りであったと考えられています。
仮に「食物神話説」や「身代わり説」が本当であったなら、豊穣を願うためや、生命の誕生や健康・長寿を願うために土偶が作られ、それぞれの願いが叶ったことで、それらの役目を果たした土偶を人形という形から解き放し「自然に返した」と考えるのが自然であるのかもしれません。
そしてごく一部の女神のような完全な形の土偶は、永遠に人々の願いを背負っていることを、その形で示しているのかもしれない…とも思えてきます。
大量の土偶、壊され土偶…この事実に土偶のどんな秘密が隠れているのでしょうか。
*参考図書
日本の土偶 江坂輝彌 講談社
開館25周年記念土偶展 長野県立歴史館
土偶のリアル 譽田亜紀子 山川出版社
縄文土偶ガイドブック 三上徹也 新泉社
最後までお読みくださり有難うございました☆彡