【翻訳】 「キャンセルカルチャーを"キャンセル"する方法」(2023年10月19日)
本エントリは、エコノミスト誌にて掲載されたウォーク、ひいては政治的二極化傾向についての処方箋を提示する論考の要約・解説記事です。
ジョセフ・ヒースなどに代表される昨今の古典的・伝統的なリベラリズムに回帰する流れとウォーク批判の結びつきを理解する上で必読の記事だと思います。
注意:訳者(未厨伯)の知識不足、技量不足により解説や本文等で誤った箇所がある可能性があります。お気づきの際は適宜ご指摘いただけますと幸いです。
また本エントリは一切収益化しておりません。
[以下要約]
ヤシャー・マンク(Yascha Mounk)氏の著作には、アメリカ左派が抱く一部の極端な思想を凝縮した、衝撃的なエピソードが紹介されている。コロナウイルスのワクチンが出回り出した頃、ほとんどの国ではまず医療従事者と、(若者よりもはるかに感染しやすい)高齢者への接種が行われた
しかし、アメリカの疾病管理予防センターは、8700万人ものエッセンシャルワーカーらに優先的に接種するよう隔週に要請した。その根拠にあるのは、高齢者の多くが白人であることを考慮した「人種の公平性」であり、この措置により数千ものさらなる死亡者が出る結果となった。
これとは別に、あるアフリカ系アメリカ人の母親が、7歳の子供を学校のクラスに入れようとしたところ、校長は「そこは黒人のクラスではない」と断った。これは1950年代ジム・クロウ制度下の南部の光景ではなく、現代のアメリカの光景である。昨今、「反人種主義」の名の下に、子供たちを人種別にグループに分け、個々人を「人種的存在」として考えるよう指導する「進歩的」な学校が増えつつある。
ジョンズ・ホプキンス大学のマンク氏は左派の政治学者である(「バラク・オバマは私が最も尊敬するアメリカの政治家である」)。彼は「人間は属する集団に関係なく平等に重要である」と信じてきた。彼の著書『The Identity Trap (訳: アイデンティティの罠)』では、なぜ左派の多くが「普遍主義」を捨てたのかについて説明している。彼は、ウォーク左派の理論を次のように要約している。
こうした考えを支持する人々の多くは本気で世界をより良くしたいと願っており、彼らが憤る不正の多くは実際にあるものだ。しかし、彼らの提唱する政策は、「協力し合う同胞ではなく、むしろ対立する部族からなる社会を作り出す可能性が高い」のだ。「リベラル」という言葉はアメリカでは長らく「左派」として受け入れられてきたが、今や左派の多くは、普遍的価値観や言論の自由といった基本的なリベラルの概念を否定している。英語圏だけでなく世界各地で、左派は自分達の教義やアイデンティティ・ポリティクスを受け入れない人々に対し不寛容になっている。
そのため、「ウォーク」を社会正義を求める善意のミレニアル世代と片づけてしまうのは誤りだとマンク氏は主張する。ウォークが「民主主義国家の伝統的なルールや規範を超えたところに向かっている、あるいはそれらを完全に捨て去っている」ことを理解している人は少ない。同氏はかねてより権威主義的な右派への懸念を示してきたが、彼らの論理がそれなりに理解されているのに対し、この権威主義的な左派の学術的な歴史は「奇妙なほどに未開拓」であるという。
一般大衆には受け入れられていないこの立場が、なぜこれほどまでの影響力を持つに至ったのか?マンク氏によれば、それは集団心理によるものである。志を同じくする人々が政治的、あるいは道徳的な問題について議論すると、その結論は「個々のメンバーの思想信条よりも過激なものになる」と彼は説いている。この傾向は、ドナルド・トランプが大統領に就任した時のように、集団は何らか脅威にさらされていると感じる時にこそ結束する。それゆえ、集団内の不文律や変わり続ける規範に違反する者に対しては容赦がなくなるのだ。今やアメリカ人の5人のうち3人以上が何らかの不利益を被ることを恐れて自分の政治的見解を口にすることを避けていると答えている。
マンク氏が「アイデンティティの統合(the identity synthesis)」とやや乱暴にまとめる価値観を備える学生達は、卒業後に「大学でデモ行進」をした。2010年ごろから彼らは新たなイデオロギーを職場に持ち込み、怒りを煽動するハリケーンのようなソーシャルメディアの追い風を受け、これまでの世代とは違い上司に対して威圧的な態度を取るようになった。若い活動家兼労働者達は、アメリカ自由人権協会に言論の自由に対する「鉄の掟」を破棄するよう迫り、リスク回避的な経営者に対しては逆に彼らが望まない「多様性・公平性・インクルージョン」の研修を認めるよう求めた。例えばコカ・コーラ社のあるプレゼンテーションスライドでは、従業員に対し「白人らしく振る舞うな("try to be less white")」と促していた。
このような考えや主張のやり方は、根強い現実の不正を解決するどころか、むしろ不正を悪化させる恐れがある。そしてトランプ氏の影響力に耐えうるよう国を鍛えるどころか、この極端な左派に対抗して中米が右傾化することでトランプ氏の影響力を強めることになる。マンク氏の提唱する解決策は、「古典的なリベラリズムへの回帰」である。普遍的な価値観と中立的なルールを再発見することで、人々は異なる信念や出自を持つ他者と共通の対義を持つことができる。実現が難しからと放棄するのではなく、リベラル民主主義の根底にある理想に忠実に生きるべきだ、と彼は言う。
マンク氏のこのメッセージがグローバルな視点であるのに対し、グレッグ・ルキアノフ(Greg Lukianoff)とリッキー・シュロット(Rikki Schlott)はあくまでアメリカに焦点を当てた議論を展開している。言論の自由を求める団体"Foundation for Individual Rights and Expression"に所属する彼らの著書『The Cancelling of the American Mind』は、アメリカに「言論の自由文化(free-speech culture)」を取り戻すための右派・左派両陣営への叫びである。両者の意見が事実についてさえも一致しなければ、「世界を理解するために私たちが頼りにするすべての制度に対する信頼を損なうことになる」と彼らは綴る。
ルキアノフ氏とシュロット氏は左派を批判し、キャンセルカルチャーがいかに大学での学問の自由を蝕んでいるかを指摘する。しかし同時に、彼らは右派に対しても同様に批判的である。フロリダ州の新しい教育法のいくつか(特定の教科を教えることを禁止する内容を含む)を彼らは「間違いなく違憲」であるとしている。
どちらの著書も大胆かつタイムリーで、データに裏打ちされた主張が展開されている。また、もっともらしい処方箋も提示している。極右は右派によってのみ、左派は左派によってのみ打ち負かすことができる。だからこそ、今現実で何が起きているのかを把握している中道左派の人々は声を上げるべきだが、賛同しない人々を中傷してはならない。「政治的な見解の相違は道徳的な失敗ではない」、とマンク氏も注意を促している。ほとんどの人はウォークでもトランプ主義者でもないのだから、人々は「合理的な多数派」に訴えかけるべきだ、と彼は主張する。「憤りから反動に奔ってはならない」ということだ。
ルキアノフ氏とシュロット氏のアドバイスはよりパーソナルなものである。彼らは「人生は善人と悪人の戦いではない」、と説いている。誰かがどこかで「害悪だ」と訴えるすべてのものが本当に害悪になるとは限らない。子供達を甘やかしたり隔絶したりするのではなく、彼らの違いについて教育することこそが本当に必要なことなのだ。
『The Cancelling of the American Mind』は、知的多様性のある人材を育成するよう企業にアドバイスしており、上司が言論の自由へのコミットメントが雇用条件であることを明確にすべきであると主張する。そして大学では、テニュアのための政治的リトマス試験紙(訳者注記:個人の政治信条により処遇を判断すること)を廃止し、学生に思想の討論についての方法論を教えることに立ち返るべきであるとも唱えている。
ポスト・リベラルの右派とポスト・リベラルの左派は、多くの人が思っているよりもずっと近い関係にある。どちらも不寛容で、個人の自由よりも権力・権威を優先する。両者は「お互いを宿命の敵とみなし、お互いを糧としている」とマンク氏は警笛を鳴らし、こう続ける。「自由な社会の存続を願うすべての人々は、この両者と戦うことを誓うべきなのだ」。
訳者追記(11/14):訳語を修正しました
変更前:「どちらも不寛容で、個人の自由よりも国家権力を優先する。」
変更後:「どちらも不寛容で、個人の自由よりも権力・権威を優先する。」