民藝旅 vol.2 沖縄 \“うぶる” 作りのふみえさん/
「焼きサバか、ぶっかけ丼か、刺身定食か。」
なんとも贅沢な悩みである。
朝ごはんをもとめて、市場をふらふら。
Wi-Fi完備の魚屋さん「魚友」の野外テーブルで、手書きのメニューをながめていた。
朝からお刺身だなんて、贅沢すぎるわ。と、いつもの貧乏性から焼きサバを注文したのは午前8時半。
脂の乗ったサバ、海ぶどう、お豆腐、卵焼き。
お味噌がふつふつと回るあら汁に、口からよだれがあふれる。
しっかりたっぷり、満腹のお腹をさすりさすり。
作業場所にしているコーヒーショップへ向かった。
“うぶる”作りのふみえさん
肉味噌の竹おばさんから教えてもらった電話番号にかけてみる。
「はい、もしもし?」
少女のように軽やかな声が答えた。“うぶる”作りのふみえさんだ。
うぶるとは、竹おばさんのお店にぶら下がっていた “丸いやつ” だ。
(輪っかじゃない方)
ふみえさんは89歳のおばあちゃん。
那覇に一人で住んでいる、東京生まれの不思議なおばあちゃん。
竹おばさんから連絡先を教えてもらい、与那国島の手仕事について聞きたいと伝えると、「じゃあ、りゅうぼうで会いましょうか。」と快く会う約束をしてくれた。
りゅうぼうは那覇にあるデパート。
茨城県民なら京成、それ以外の方には三越のような存在と伝えたら分かりやすいかな。
成城石井よりイオン派のもじゃもじゃには、ちょっと緊張するデパートでのインタビューとなった。
ドキドキ、そわそわ。
どんなマダムが出てくるのか、待ち合わせの場所に20分早く到着して待っていた。
午前10時。
待ち合わせの時間がきた。
ヒスイや瑪瑙でピカピカのカラフルマダムを想像しながら、1階ロビーにいる人々の顔を見回す。一番派手なのは、おそらく中国からの観光客。ビーズ付きのTシャツが眩しい。
もしかして、おばあちゃんだから到着まで時間がかかっているのかな。
ふと視線を左に向けると、こちらをじっと見つめる小さなおばあちゃんがいた。
あ。
白の帽子に、ブラウスとジャケット。キャリーカートに手をかけた、おかっぱヘアーのおばあちゃん。
「ふみえさんですか?」
恐る恐る話しかけると、「そうよ!あなた、そこにいたのね。」と、くりくりと目を輝かせながら、可愛らしい声で答えた。
育ちの良さが声から滲み出る、可憐なおばあちゃんだ。
隣に座りなさいな、そう言ってお尻をずらしてくれたので、ふみえさんの隣に失礼した。
ふみえさんは挨拶も早々に、マシンガンよりも速く、息継ぎする間もなく話し始めた。
「これが、あたしが作っている “うぶる”。与那国島では井戸の水をくむものなの。」
ガサゴソ。キャリーカートにぶら下がった黄緑色のビニール袋から、クリーム色の葉っぱで作られた丸いバケツ–うぶるが顔を出した。葉っぱの表面は、ハリと光沢があり、ツルツルとしている。
あんまりにも綺麗で、ヒョーとかフェーとか変な声が漏れる。
すてきね、すてきね…興奮した心臓からドキドキがあふれて止まらない。
「そうでしょ。それでね、私はこれで本に載ったこともあるのよ。」
ふみえさんは、キャリーカートから1冊の本を取り出した。
目が点になるとはこういうこと。
ふみえさん、実は2013年の日本民藝館展で入選していたのだ。驚き桃の木山椒の木。驚きのあまり声も出ない、視線は上へ下への大移動。
ようやく心が落ち着いて、これって…!と口を開きかけた時。
「あんた与那国ねーーー?!」
横から大きな声で話しかけられて、絞り出そうな声が吹き飛んだ。
だ、だれ…?ふみえさんと顔を見合わせて女性を見る。
やっぱり知らないお姉さんだ。(沖縄では年上の女性を、お姉さん/ねーねーと呼ぶ)
この人は、なよこさん。与那国島出身で、いまは那覇市に住んでいるらしい。私たちが与那国島という単語を2度使ったのを聞いて、島の人かと思って話しかけたそうだ。
女性が3人も集まると、おしゃべりは終着点を見失って宇宙の彼方。
立ち話もなんだから、ということで。りゅうぼう地下にある沖縄料理屋さんでご飯を食べることにした。もちろん3人で。
ズルズル、ぞぞぞ。
さっきまで赤の他人だった3人が、仲良く木灰そばをすする。
「それで、ふみえさんは、どうしてうぶるを作りはじめたんですか?」
おもむろに聞いてみた。
「わたしは戦争の頃に、東京から親族のある与那国島に疎開してきたの。その時、東京の人には台湾に行くのよって言ってね。そして小学生時代から過ごして、戦後に結婚やらなんやらで東京の方に帰ったのよ。でも、あたし沖縄が好きでね。」
ふんふん。
「おばあちゃんになってから、与那国島に引っ越すことにしたの。
そしたら、むかし、おじいさんが作って井戸にかけてた”うぶる”がまだあって、懐かしくなっちゃって!それで島の工芸センターみたいなところで、作り方を教わったのよ。」
えらいねー、となよこさんが相槌を打つ。
「ある日、石垣島で八重山地方の手仕事の展示をするとか、なんとかで。老人会に声がかかってね。ふみえさん、うぶるを作って出さないかー?って頼まれたの。それでいくつか作って送ったら、静岡の民芸店の人が気に入ってね。その人が日本民藝館に持って行ったのよ。」
静岡の民芸店の人は驚いたそうだ。遠い昔、沖縄の国際通りで売られていたうぶるが、いまも沖縄で生きていることに。(なぜうぶるが国際通りに並ばなくなったのか、裏話はオフレコなので直接会うときにお話しますね)
「そしたら、賞をとっちゃったからね。東京まで見に行ったのよ!民藝館の人に、写真を撮っていいですか?って聞いたの。普通はダメじゃない?でもね、わたしがこれを作ったのよ、と言ったら撮らせてくれたの。きっと、ビックリさせちゃったわね。」
肩をくすめて、ふふふと笑ういたずらな微笑みに、ふみえさんの天真爛漫な少女時代が見えた気がした。
「お姉さん、みくら〇〇って知ってる?」
なよこさんが、ふみえさんに話しかけた。
なんでも、なよこさんはたくさんの兄弟が与那国島にいて、長男さんがふみえさんと同い年らしい。
「知ってるわよ!だって、あの人の初恋の人は、わたしだったんだもの。」
時を超えるラブストーリーに、3人でひゃー!と歓声。
最西端の小さな島に、東京から可愛い女の子が転校してきた。純朴な少年にとって、それはそれは、逃れがたい恋の種だったろうな。
キャッキャと恋の話で盛り上がっていると、なよこさんが思い出したように話しはじめた。
「あのね、わたしのお姉さんが織物を作ってるさ〜。
優さん、与那国へ行きなさい。今日中に親族に連絡しておくから。」
へ?と口をぽかんと開けていると、ふみえさんが続けた。
「そうよ。これはクバのご縁よ!きっと何かあるんだわ。」
頰をバラ色に上気させた年配女性2人に囲まれて、NOと言える勇気はなかった。
かくして、数日後に与那国島に行く約束をして、この日はお開きとなった。
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せっかくなので、うぶるの作り方をご紹介!
(参照:西表島手わざ帖③クバ・ピデほか/NPO法人西表島エコツーリズム協会発行)
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スピリチュアルおばあちゃんずのパワーに導かれて、
次回、\ひとりぼっちの与那国島/ お楽しみに!