正論は人を生かすか、殺すか。
私は"私"という存在をちゃんと他人に認知されたと実感したのはここ2年の話だ。
それまではアドラー心理学でよくいわれるように、他人の評価を気にして、捨てられないように必死に社会のレールにしがみついていた。
本当はやりたくないこともいっぱいあって、
やりたいこともいっぱいあって、
頭の回転が通常の人の何倍も遅いのに認めたくなくて努力して、
たぶん弱い自分は他人にとっても、自分にとっても認められない存在なんだろうあと思って必死に隠してきた。
弱い姿を見せないことが家族に、先生に、社会に求められている姿だと思っていたし、正しい道だと思っていた。むしろ、学校に行きたくない、誰かに負けたくない、そんな負の感情を弱みだとは全く思っていなかった。できないことは、できるようになるべきだと思っていたし、負の感情は持たないように努力すべきだと思っていた。
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マイノリティーを認めるべきだ。
不登校を認めるべきだ。
会社で圧倒的成長をすべきだ。
効率化を重視すべきだ。
あなたらしさを磨け。
学び続けろ。
この社会はやらなくちゃいけないことであふれているなと思う。決して、それらが間違っていると否定したいのではない。私も正論だなと思う。でも、疲れちゃうなとも思う。そもそも、人間はそんなに正論を全うできるほどの理性さを兼ね備えているのだろうか。正しさに猪突猛進できるほどの素直な気持ちを持ち合わせているのだろうか。
人間は相反する、矛盾する気持ちを同時に抱くこと動物だと私は強く思う。それらの感情は正論の前では儚く散ってしまう。正論はどちらか、または両方の気持ちを殺しながら突き進むしかない。
マイノリティーを認めるなら、その人に対する嫌いを消し去らないといけない。
会社で圧倒的成長をするなら、しんどいという感情は消し去らないといけない。
学び続けるのならば、止まってはならない。
矛盾する感情は正論に進むのに、毎回足を引っ張ってしまう。頑張りたいのに、しんどいと思ってしまう。そんな想いが毎度でてたら面倒だ。
でも、最近本当にめんどくさいなと呆れるほど矛盾した感情を抱いてしまう。
笑っているのに泣きたくなる。
自分を大切にしようとするのに、自分を傷つけたくなる。
大勢の大切な人に囲まれているのに、一人になりたいなと思う。
消えたいなと思いつつ人と繋がることを求めてしまう。
すごくすごくめんどくさくって、毎回厄介でいろんな人に迷惑をかけているけど、正論を全うしなくなって少し楽になった。同時に頑張ることが難しくなっているような気がするけど、大切な人が増えて頑張りたい気持ちが大きくなった。
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すごくロジカルな人間だった。合理的に、効率的に、社会の正論に突き進むのが正しいと思っていた。でも、自分の弱みも、他人の弱みも認めることができず正しいと思われている道に進むことが人を救うとは限らないということを知った。ロジカルだった時は自分自身さえも救えなかった。
正論の外にある、深く、暗い、深海のようなところまで光を当てられるような人でありたい。
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