依存したい。
「ジリツしなきゃ。」
自立と自律の違いもわからない中学くらいの時だったが、無意識にあった意識だった。早く1人で生活できるようになりたい、親の手を借りずに生きていきたい、そういう思いは人よりも早かった。なぜそんな思いが強かったかというと、理由は明白で親の手を大いに借りて生きていたからだ。
田舎暮らしには車が必要で、車を運転できない子どもには移動の自由はない。家から最寄駅は車で20分、スーパーは歩いて30分ほど。どこに行くにしろ親の運転が必要だった。私は多く習い事をしていたから、親の運転にはお世話になった。その代わり後ろめたさは増えていった。怒られる時は取ってつけたように「もう送り迎えしないよ!」と言われたし、何より母は疲れているように思えた。
大人になりたいとは思わなかった。だけど、早くここから出て誰にも頼らない生活をしたいという気持ちは大きかった。
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昔から依存が出来なかったし、してはダメだと思っていた。物理的にも精神的にも。でも、頼らないといけないような状況はあるし、相談したくなる夜もある。だから、友人には全てカテゴリー化した。仕事で相談できる人、恋愛の相談ができる人、よくわからない不安に襲われた時に電話をかける人…。そうやって自分の荷物を100%預けるのではなくて、相手の得意分野に合わせて10%、5%づつくらい私の荷物を分散し、持ってもらう。そうやって相手の負担も最小限に、迷惑かけたくない自分の気持ちも最小限にして気持ちの安定性を保ってきた。
でも、そうやって生きづらいなかでも生きやすい方法を自分でうみだす度に嫌になってくる。
結局自分は100%の荷物を預けることを怖がるし、人間のことを信頼できない。もし信頼して100%の荷物を持ってほしいと言って拒否られたら怖いから持ってほしいと言えない。何より傷つくのが怖いし、他人は怖い。持ってくれるかもという期待よりも、持ってくれなかったという過去の記憶が私の気持ちをがんじがらめにしてくる。
恋人の前で理性を失ったり、友達に怒りで罵倒できる人が羨ましい。
私の気持ちに気づいて、
荷物を持って、
私の孤独をなんとかして、
そうやって素直な気持ちをぶつけられるほど相手に期待し、信頼することは私はできない。
生きづらい中でも、少しの知識と知恵で生きやすいやり方を構築しても、根本となる問題は何も解決してないし、いつまでも弱い自分から逃げている。
そんなことに気づいてしまって、また生きづらくなる月曜の夜。